Kyoto Debate team 秋のブログ祭り第6弾 ✨特別寄稿✨ 〜才能がないのにディベートをやり続けている話〜

秋のブログ祭り、本日で最後となります!ラストを飾ってくれるのは、関西ディベートコミュニティーパーカーをデザインした天才:Hit-U3年生のこばやし・りょうせいさんです。

 


才能が無いのにディベートをやり続けている話

こんにちは、どさくさに紛れてまたここに文章を寄せている一橋大学三回の小林です。

こばやし・りょうせいさん(若い頃)

以下は現時点での自分の足跡を残しておくための文章でもあり、自分もこういうことしてみようかなって思ってもらうための文章でもあり、読んだ人になんやこいつって思ってもらうための文章でもあります。少しだけ下らない自分語りに付き合ってください。

 

「何か書かない??」とブログ担当の方に言われ、「うん、何か書こうかな」という意味わからんノリの末にたどり着いた結論が、自分が一番好きなBlog(ゆーたのやつ)を見習って、好き勝手書いてやろうというものである上に、深夜に書かれている文章なので、キモいですがご容赦ください。

kyodaidebate.hatenablog.com

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1.自分のディベートとの関わり方の変遷

Q. お前普段どこでディベートしてんの?

A. ヨーロッパサーキット。たまにアジア。

 

Q. なんで?

A. ジャッジしたいから。

 

Q. なんで??

A. なんでだろう、、Worldsでブレイクできる可能性を高めるためにCVを作るっていうのが建前で、ただただ好きでやってたらほぼ習慣になっちゃったっていうのが本音。

 

Q.なんで国内大会出ないの?

A.疲れるから。オーソリ無いからジャッジしてもそんな跳ねないし。

 

うん、意味わからんっすね。

一応今年に入ってから出た大会を一部羅列してみると、

 

Sofia Open(ブルガリア)、Structural Reasons vol2(ブルガリア??)、Odesa pre EUDC(ウクライナ)、Earlsfort Open(アイルランド)、Glasgow Summer Cup(イギリス)、Astana Open(カザフスタン)、UADC(アジア大会)、、、

 

かなりヨーロッパに根を下ろす形になってきています。コンスタントにジャッジブレイクできているし、顔見知りのジャッジも増えてきたし、見慣れたチームも増えてきたなという感じです。AstanaでOpen Finalまで行けたのはかなり嬉しかったですね。その他の大会でも、ブレイクすればESL Finalくらいまで行ける程度のStandingになることが多い感じです。ディベーターとして大会に出ることを全くと言っていいほどせずにこんなことばかりやっている人のことをCarrier Judgeと揶揄する人もいますが、自分は本当にCarrier Judgeまっしぐらになっています。

 

本当は自分も、「つよいディベーターになるぞ」「秋Tで優勝したい」「国際大会でOpen Breakしたい!」みたいな真っ当なモチベーションを持っていたんです。ディベーターで大会に出るのが大好きだった(今嫌いというわけではない)はずなんです。自分でもどうしてこんなことになっているのかあまり分からないので、ここに至るまでの自分のディベート人生の変遷を少し振り返ってみました。

 

(1年)

高校ではアカデを細々とやっていて、部活ではなくクラスの友達と大会に出てました。全国大会に行けるようなレベルではもちろん無いのでディベートのことは何も分かってません。そのまま大学でディベートをするとも思ってなかったので完全にノリでHit-Uに入りました。Hit-Uの同期はそもそも英語喋れる人が大半で、英語が喋れない身としては頑張ってたはずです。1年の頃は学年大会にたくさん出て、銀杏、梅子、紅葉ではOpen Breakしたものの、これもほとんどペアが帰国子女で英語が上手かったおかげで、自分のスピーチは大して評価されてなかったように思います。実際Speaksで勝てたことはほとんど(1回も??)ないままだったような気がします。下手だったし。

 

みんな仲が良くて、たくさん練習して、部活感があってとても楽しかった反面、かなり劣等感というか、自分はこの中では1番になれないなぁという漠然とした不安を抱えていたように思います。それに加えて他のインステの同期にはもっと強い奴らがゴロゴロいて、純粋な憧れと絶対超えてやるという殺意に満ちていました。

 

秋からは他のインステの練習に行く時間が増えて、違う環境で練習することで現実逃避してました。ディベーターで大会に出ることに少し疲れ、その反動でジャッジを始めることになったのもこの時期だったと思います。ジャッジ自体は1年生の夏からたまにインステの練習でしていたのですが、もちろん何も分からない状態だったので、他のインステのラウンドを毎日ジャッジしに行って、上級生や社会人からフィードバックを貰いながら地道に練習しました。

 

人生で初めてジャッジした2日制の大会はまさかのJapan BPで、もちろんブレイク落ち。そのときチェアしたR3のTopラウンドで死ぬほどイラジャしてめちゃめちゃ詰められたのは今となっては良い思い出です。なぜかそこで4位を付けたチーム(ゆーた&みなみ)からめっちゃ慰められて精神的には耐えてましたが、あれがなかったらかなりトラウマ物になって二度とジャッジすることはなかったはずです。その後にジャッジしたEvergreen Cup、The Kansaiではジャッジブレイクすることができて、だんだんジャッジが分かってきた感じがありました。

 

1年の終わり(3月とか?)、初めて海外の大会(マレーシアのAsian大会)でジャッジしました。誰かと夜中に通話してるときに、Facebook上で見つけたIA Applicationをやけくそになって送ったところ、報酬は出ないもののジャッジはしていいよという連絡を貰ったことで、出ることになってしまいました。結果はなんとブレイク、Standingこそ悪かったものの、このとき自分の中でジャッジをこれからも続ける理由ができてしまったのだと思います。

 

(2年)

2年からはひたすらアジアの大会でジャッジし続ける日々が続きました。お金が貰える訳でもないのに、毎週末いろんな大会に出てはもがき苦しんでいました。そもそもBPのジャッジが苦手すぎる、英語できないのにAccentがかなりきついスピーチが聞きとれない、英語が聞き取れてもムズイ単語とか表現を使われると意味が分からなくなって頭が死ぬ、、正直自分がきついと思っていた「国内の大会で負けること・同期よりも弱いこと」の数倍きつい現実がそこにはあって、過去の自分の悩みが矮小なものに感じられていきました。どうにかアジアの大会でジャッジブレイクを重ねつつ、ジャッジにのめり込んでいきました。

 

もう一つこの頃の(もちろん今でも)自分の中で重要なのは、関西のコミュニティが異常なまでに暖かく自分を迎えてくれたことです(なんで??)。自分はHit-Uでもどこでも、はみ出し者というか、人と関わるのが上手ではないので、そんな人間を受け入れてくれた場所にはかなり感謝しています。自分と同じく海外大会で日々奮闘している彼らの存在もまた、大きな精神的支柱となっていました。

 

自分の中での最も大きい転換点は、SIDO(Shanghai International Debate Open)とVienna pre WUDCでのジャッジブレイクです。どちらも120チーム以上が参加するかなり大規模な大会でした。ここらへんから明確に、「あ、こうやってやると上手くいくな」という感覚があり、その2つのCVのおかげで他の大会のIAもよく通るようになったと思います。自分が個人として評価される感覚はかなり新鮮で、このとき初めて今までの時間が報われたかなと思えました。

 

(3年)

3年になってからは明確にWorldsを見据えようという気分になり、ヨーロッパ大会で実績をできるだけ積もうという計画性ゼロの目標のもと動いています。やはりIAは通っても報酬は貰えなかったり、貰えてもほぼ無いに等しいようなお金で、新参のディベーター実績のないアジア人には厳しい環境です。そんな中でも東ヨーロッパの大会でブレイクを重ねるごとにイギリスやもっと西の方のサーキットにも入れてもらえてる感じがします。毎週同じようなメンバーでEuroやWorldsのprep大会があるので、顔見知りも増え、コミュニケーションも取れるようになってきました。これがどの程度の成功なのかは分かりませんが、随分と遠くに来たことだけは確かです。



そんなこんなで、ディベーターとしてのレースからはすっかり身を引いてしまったわけですが、多くのディベーターとして頑張っている人達に言わせてみればただの負け犬というか、第一線で勝負をすることを諦めた意気地無しであることに間違いは無いです。

インステ内でチームを組んで、練習して、大会に出るといった努力を今から再開する気になれないことも事実です。自分の無力さを感じたり、自分よりディベートもジャッジも両方上手い/実績がある人たちと自分を比較して落ち込んだりすることはしょっちゅうあります。

 

しかし、現実的には、ほとんどの人はディベートで何かすごいことを成し遂げることはできません。せいぜい、国内の大会でブレイクしたり、ジャッジしたり、後輩にレクチャーしたりして、それで飲みに行って「楽しい思い出」を作って自尊心を誤魔化しながら保つことしかできません。それらが悪いこと/下らないことなのではなく、人それぞれディベートとの関わり方があります。

 

ただ、自分はそのサイクルの中で風化したくない、まだヒリヒリする勝負の世界にとどまっていたい、という思いが強かっただけでした。何も成し遂げられないことを納得してしまうのはきっととても簡単でしたが、間違いなく今よりもずっと惨めな気持ちになることは目に見えていました。

 

今の自分は、未だに惨めではありますが、何もしないよりはずっとましだなと思います。

2.今ディベートが苦しい人へ

散々ネガティブなことを書いた気がする(デフォルトなので許して)ので最後に少しはポジティブなことを書きます。

 

おそらく、ディベートに行き詰って、悩んで辞めようとしている人はたくさんいると思います。そうでなくとも、何か他のことが忙しかったり、もっと楽しいことを見つけて離れていく人もたくさんいると思います。どんな理由であれ、少しでも心残りがディベートという競技にあるなら、自分の環境を変えてみてほしいなと思います。

 

明らかに、自分が1年生のころに考えていたような、いわゆる「成功のルート」は、自分にとっては全く現実的ではないものでした。自分に才能もずば抜けた知的能力も備わっていないことは分かっていたし、自分の憧れに手が届かないことは嫌でも分かっていました。それでいて、自分の目に映る周囲の才能にあふれているのに辞めていく人たちを見ると、「お前はすごい奴なんだからもっとディベート続けてもっとすごい奴になってくれよ!!」と無責任なことを思っていました。でも、それは全部「ディベーターとして成功する」ことに囚われた考え方でしかなくて、当然人間には向き不向きがあります。

 

少し泳ぐ川を変えてみるだけで、自分が音源で聞いていた憧れの人たちの隣の席に座れているような感覚になれて、自分の見たかった景色を違う場所から見ることができたりするものです。自分のように憧れに手が届かない多くの人はきっとただの凡人なのですが、それでもできることはたくさんあります。「多くの人は賞賛されずに退場していく」というのは正しいですが、自分の中の正解の定義をもっと増やして、改めてこの競技と向き合ってみてほしいです。きっと、どこかにしっくりくる何かがあって、そこにたどり着くための努力はとても楽しいはずです。

 

みんなディベート続けてね、私もあともう少し頑張るので。

 


今実績を残し評価されている人は、みんなものすごい努力をしている方ばかりだということがよくわかるブログでした。素晴らしすぎるラストを飾っていただきました、特別寄稿していただきほんまにありがとうございます。以上で秋のブログ祭り終了です!

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