【特別寄稿】「BP novice west の感想(では全くない)」

こんにちは!ブログ担です。 寒波が到来する年末となりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。今回は年末特別寄稿ということで、大阪大学1回の山岸さんにディベート人生の自叙伝を書いていただきました!BP Noviceの振り返りと言ったな。あれは嘘だ。

 

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ブログを書かないかと増部先輩に提案されたのは、11月17日だった。僕は大阪大学の人間だが、それでも構わないのかと聞いた。 

 

「ブログがマンネリ化しているし、阪大のブログも死んでるしええやろ」 

 

とんだ先輩だなあと思ったが、誰が見るかも分からないインターネット上に、2021年時点の自分が思っていたことを、永遠に漂流させておくのも悪くないなと思ったから、 

 

「まあええかあ…やります」と返信した。 

 

結局この文章に手をつけ始めたのは、12月27日だ。とんだ後輩である。 

 
 

 
 

 

なんでディベートをやってるのだろう。 

 
 

 
 

思い返せば、僕はディベートで何も勝ち取っていないし、何もドラマチックなことなんて起こっていない。良い思いもしていない! 

 
 

自分が住んでいる世界は平凡中の平凡で、客観的に見て特別面白いことが起きているわけでもない。 

 

が、自分にとっては、とても大きな出来事が一つだけある。ディベートをしていて言われた言葉の中で、唯一記憶に残っている言葉がある。 

 
 

この文章には、多少の苦い思い出と、自分がディベートを続けてしまっている理由が書かれている。たぶん。 

 

たまにはこういう気持ち悪い文章があっても良いでしょ。マンネリ化しているらしいし。 

 
 

追記: 本来ディベートブログで求められものは、ラウンドごとの振り返りとか、自己紹介とか、大会期間中の面白い裏話とかだと思う。でもどーしてもそういう類の文章を書く気になれなかったので、逆に全く客観性のない、全く関係のない事柄について、極端に内省的な文章を書いてしまえと思ったのだが、それはそれで求められていることと違うと思ったので、折衷して、ディベートの思い出と、今の気持ちを良い具合に混ぜた文章にした。(結局個人的な話の域を出ないが)内容はなんでも良いと言われたので、本当にめちゃくちゃにしてやったつもり。 

 

追記2:何人かの先輩に、なぜディベートをしているのか、と聞かれることがたびたびある。聞かれるたびに、僕は「優勝しないといけないという使命感」とか、そんな具合のことを言っていた。この文章は、先輩方への、丁寧な返信としての文章でもある。(ふとした瞬間に糸が切れてしまいそうな自分への自戒でもある)     

 
 

 
 

 
 

高校に入学したての頃、友達がみんな英語ディベート部に入るから、僕もそれに続いて入部した。 

 

英語が格別に上手だったわけではなかったし、別に言い合いが強いわけでもなかった。 

 
 

入部したての頃、英語が格別に上手な同級生に比べて、僕は何もできなかった。 

 
 

せいぜいできたことは、アカデミックディベートで、パソコンの前に這いつくばって、アタックスピーチを作ることぐらいだった。時間をかければエビデンスは見つかるし、日本語を英語に訳す時間は十分にあるから、HEnDAのアタックスピーチを作ることは、僕にとって特別難しいことではなかった。 

 
 

1年生の頃のアカデの大会は、チームで県3位になった。1位は高校の一つ上の先輩のチームで、2位はよその高校だった。 

 
 

期待していたスピーカー賞は、同じチームの別の人が取っていた。 

 
 

 
 

 
 

でも、この頃からだんだんと、自分は少しディベートの才能があるんじゃないかと思い始めた。(傲慢だが思春期の至りなので) 

 
 

大抵のチームのコンストは、自分のアタックスピーチで壊すことができたから、チームの勝ちはほとんど自分のおかげだと思っていた。他の同級生と比べて、英語だって多少は成長しているって思っていた。パーラだって多少上手くなっているって思っていた。 

少なくとも自分は、この部内の同期の中では、一番凄いって思っていた。(こんなことは当然誰にも言っていなかったが) 

 
 

 
 

2年生が引退して、自分たちが一番上の代になった。 

 
 

 
 

最初に迎えるのは、アカデの春大会だった。 

チームが発表される。 

 
 

 
 

 
 

 
 

自分はAチームじゃなかった。 

 
 

 
 

 
 

 
 

春大会は、うちの高校のAチームと、自分がいるBチームが決勝に進んだ。 

 
 

 
 

2ー3で、Aチームに負けた。 

 
 

 
 

 
 

ちょうどこの頃から、勝てないと悲しくなるようになった。 

 

自分の内側で膨れ上がっていた自信を、真っ向から否定されているように感じ始めた。 

 

それがとても怖くて、自分をBチームに入れた先生も、部のみんなも、自分を評価してくれなかったジャッジも、全員見返してやることだけに執着し始めた。 

 
 

 

勝たないといけないので、ディベートの勉強をし始めた。 

有名人の音源を聞いたり、ブログを読んだり、競技ディベートの解説本を読んだりした。 

こんなことをこの時期にしていたのは、たぶん自分だけだった。 

 
 

 
 

 
 

6月ごろには、HPDUの新緑杯関西予選があった。 

HPDUでは、自分のいるチームが2位になり、全国出場を決めた。 

個人でも、ベストディベーター4位を取ることができた。部では2番目に良い順位だった。 

1位ではなかったけれど、大きな結果を残せて嬉しかった。 

 
 

だが、それよりも、周りの人を見返せた気がしたことの方が、よっぽど気分がよかった。 

 
 

 
 

 
 

しばらくして、全国大会に向けて選手選考が行われ、うちのチームから自分だけが落ちて、残りの二人と、新たに加わる一人で全国大会に出場していた。 

 
 

全敗していて、ざまあみろと思った。自分をチームに入れていれば、もっと良い結果だったはずだと思っていた。(いまはそんなこと思っていないということを、念のため書いておく。大事なので) 

 
 

 
 

 
 

 
 

秋になり、アカデの県大会が行われたが、とうとう自分がAチームに入ることはなかった。 

Aチームは優勝して、全国大会出場を決めた。Bチームは準優勝だった。一つの学校からは1チームしか出られないので、自分たちのチームは全国大会に出場できなかった。 

 
 

 
 

 
 

 
 

同時期にパーラの県大会があった。 

 
 

会場は、藤島高校の新嶺会館にある大講義室だった。 

割と最近にできたこともあって、現代風の無機質な建物だ。 

だだっ広いスペースに無数のスタッキングテーブルが並び、そこで予選を行う。 

部屋の前方には小高いステージがあり、中央には演説台が置かれ、左右にはスクリーンや、決勝を行うための机が並べられていた。 

 
 

 

当然、自分はAチームではなかった。 

 
 

うちのチームのメンバーは、アカデでもずっと共にチームを組んでいた、ディフェンスの女子と、サマリーの男子。お互いよく知った顔ぶれだった。 

 
 
 

幾度となく復讐に失敗した自分にとっては、この大会がラストチャンスだった。 

 
 

大会まで、何度も入念にプレパ練をしたし、マターを調べたし、一人でスピーチを作る練習もした。 

 
 

大会では順調にブレイクし、強豪校や、一番強いうちの後輩チームなどを倒して順調に勝ち上がった。あれよあれよと決勝まで勝ち進み、最後の相手は、Aチームではないが、同校対決だった。 

 
 

 

胸がザワザワした。 

 
 

何人もの人が見ているステージの上で、自分が一番強いんだ!と証明できるチャンスが来た。 

 
 

ステージに登り、会場を見渡すと、激しく動悸した。 

 

興奮と焦燥で乱暴になった息遣いのせいで、何も聞こえなくなった。 

 

震えながら、かろうじてペンを握る自分の手が、何度見返しても自分の手じゃないように思えた。 

 

時を待たずして、長々としたインフォスライドと共に、モーションが発表された。 

 
 

 

THW introduce school voucher 

 
 

 

??????????全く意味がわからないまま、試合になってしまった。 

 
 

 
 

 
 

1-4で負けた。 

 
 

敗因は、自分がインフォスライドを誤読し、全く検討外れなアーギュメントをたて、全く検討外れな反論をし、ストラテジーの方向性を間違えてしまったことだった。 

 
 

 
 

クロージングセレモニーを終えて、会場の片付けをしている間、どうしても我慢できなくて、大声をあげて泣いてしまった。たぶん人生で一番大きな声で泣いた。 

床に座り込んで、まだ片付けられていない椅子に寄り掛かって泣いている大男の周りで、後輩たちが気を使いながら片付けをしていた。 

 
 

異様な空間の中で、みかねて声をかけてくれたのは、ディフェンスの女子だった。 

 

自分が悪いんだと自責しながら、嗚咽するほど泣いていた僕を、そんなことないよって言って宥めてくれた。 

 

みっともなかったなあ、自分。 

 
 

 
 

 
 

 
 

こうして僕の高校ディベート生活は終わった。 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

大学に入学して数週間がたった頃、例のディフェンスの女子と電話をした。 

彼女はもうディベートを辞めてしまったらしい。 

ディベートの思い出を話し尽くした。 

僕が電車で寝過ごして名古屋の大会に行くはずが、浜松まで行ってしまった時の話とか、チームがうまく機能しなかった時の話とか、誰かに対する愚痴とか、アカデの最後の大会で(しかもラウンド中に)二人で大喧嘩した話とか、最後のパーラの大会の話とか、、、 

 
 

 
 

「山岸はディベート辞めないでね」 

 
 

 
 

彼女がどんな意図で言ったのか、どれぐらいの思いでこの言葉を言ったのかは知らないが、自分にはとても響いた。スッと心の内側に入ってきた。(それはまだ一抹の恋心を抱いていたからではないはずだ) 

 
 

共に目の前で優勝を逃したチームメイトがくれたこの言葉のおかげで、ディベートをする目的が、復讐心じゃなくて、純粋にこの約束(勝手に自分は約束だと思っている)になった。 

 
 

いつか取り返そう。高校の悔しさを。できるかな。 

 
 

 
 

 
 

いつか大きな大会で優勝できたら報告しよう。 

彼女は大学のディベート事情を知らないだろうから、あまり伝わらないかもしれないけど。 

 
 

 
 

梅子杯は決勝までたどり着いたけど、一票差で負けてしまった。惜しい。 

 
 

 
 

いつか優勝できたらいいな。 

 
 

 
 

 
 

 
 

ちなみに BP novice west は決勝行ったけど、負けました。 

 
 

もうちょっと頑張りますね。 

 
 

 

ブログの書き方など分からん。こんな感じでよかったのだろうか。 

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いいんじゃないでしょうか。というかすごくいいと思います 

ラウンド内においてはスピーチとしての発話行為は発話内容とは別にニュアンスが付随しますが、生の場においては観測者の存在する行為一般に対して必然的に意味が付随します。高校のディベート経験が有意味かつポジティブなニュアンスを持つようにこれからのディベートライフを頑張ってほしいですね!(あと優勝した後もできたら続けてね!)

 

とんだ先輩より


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