しがないディベーターのメジャー

こんにちは、ブログ担のららたです!

昨年、好評をいただいた「しがないディベーターの日常」の続編をcopilotと一緒に書きました!

 

なお、前回と同様にこのブログはフィクションです。一部の登場する団体、名称、人物等とその発言は実際のものとは関係ありません。

 

しがないディベーターの日常 - 京大ディベートの日常


二年生の十一月某日。


京都からの新幹線を降りた僕は、人気のない熊本駅の前に立っていた。

でも、不安よりも先に来たのはわくわくだった。

 

駅前の空気がひんやりしていて、「うわ、遠征来たなぁ」っていう、あの独特の高揚感が胸の奥で跳ねていた。

熊本駅

KDSのあつしとなおきに頼まれてジャッジをやることになった。
“頼まれて”というより、“押し切られた”に近いけれど、こういう無茶ぶりって、だいたい後から思い出になる。

 

 

路面電車に乗る。


ガタン、ガタン。
この“ガタン”が、もう知らない街の音だ。

 

窓の外の街灯が、ひとつずつ流れていくたびに、ぼくの中の“観光客の脳”が勝手にスイッチを入れる。

 

「うわ、熊本ってこんな感じなんや」
——別に誰に向けてでもない感想が、頭の中で自動的に字幕みたいに出てくる。

 

電車の揺れが、普段乗ってるやつよりちょっとだけ大きくて、その“ちょっとだけ”が、
「あ、ここ地元じゃないんだな」っていう実感をくれる。

 

運賃をpaypayで支払えるようだし、車内の広告も、知らない店ばっかり。
“馬刺し”“辛子蓮根”“阿蘇”
——名詞だけで観光地を殴ってくるラインナップ。

 

外を見ると、街灯の光が道路に落ちて、その明るさが京都より少し控えめで、でもその控えめさが逆に落ち着く。

 

信号待ちで電車が止まると、急に静かになって、その静けさの中で、
「今、熊本のど真ん中にいるんやな」ってじわじわ実感が湧いてくる。

 

観光客って、
別に何もしてないのに、
ただ“知らない街を移動してるだけ”で
勝手にテンションが上がる生き物なんだなと思う。

 

そしてまた、
ガタン、ガタン。
路面電車は、ぼくの“観光客モード”を
さらに加速させていく。

 

 

 

ホテルまで歩く。

 

急に視界がひらけて、アーケードの天井がドーンと現れる。

「え、熊本ってこんな都会なん」
って、思ってもない言葉が口の中のどこかから勝手に浮かんでくる。

 

地方都市の商店街って、もっとこう、“シャッターが半分降りてる感じ”を勝手に想像していたのに、普通にネオンが元気に光ってる。

焼き鳥の匂いと、カラオケの音漏れと、キャッチのお兄さんの声がちゃんと“夜の街の三点セット”として揃っている。

 

「いや、これもう普通に繁華街やん」
って思いながら歩いてると、地元の人たちは当たり前みたいな顔でスイスイ歩いていく。

 

その“当たり前の速度”が、逆に観光客のぼくには新鮮で、「この街の人は、毎晩この景色を見てるんやな」って、ちょっとだけ羨ましくなる。

 

アーケードの天井に反射した光が、足元のタイルにゆらゆら揺れて、その揺れ方が“知らない街の夜”をさらに濃くしてくる。

 

観光客って、ただ街が明るいだけで「意外と都会やん」ってすぐ感心してしまう単純な生き物なんだなと思う。

 


東横インに着くと、受付がそこらしい。

大会の受付がホテルって、なんか文化祭の前日の準備みたいで楽しい。

 

会場に入ると、いつもの顔ぶれがいた。

「え、すごい、ららた関西勢の中で一番乗り!」

いや、受付時間はとっくに過ぎてるんだけど、
“遅刻者の中の最速”っていう、よくわからない称号をもらった。

 

チェックインして、「明日、どうなるんやろ」って思いながら眠りについた。



翌朝、熊本の空気はやけに澄んでいた。

 

りほとかしおかと合流する。
二人とも朝からテンションが高い。
遠征の朝って、だいたい根拠のない自信が湧く。

そこに、きんさちが来る。

「ますみつが体調崩して…急にジャッジすることになりました」

急にジャッジって、そんな“代打でショート守って”みたいなノリでできる仕事じゃない。

ブリーフィングを聞きながら、自分自身が観光客ではなくジャッジとしてここに来たことを改めて思い出す。

 

そして迎えたラウンド1でチェアになったのだけれど、普通にOGに詰められた。
その後もパネルで永遠にやらかした。


永遠って言ってるけど、体感は永遠。

 

一方その頃、りほとかしおかは永遠に4位を取っていた。
4位って、いちばんコメントしづらい順位。

 

夜は焼肉屋へ。

りほがタンを網に乗せながら、開口一番こう言った。

 

「てかさ、ドヒュンキム、普通にイケメンじゃない?」

 

急すぎる。


タンが焼ける前に恋バナが焼け始めてる。

かしおかがカルビを裏返しながら言う。

 

「わかる。なんか…整ってるよな」


「そう、整ってる。めっちゃ整ってるじゃなくて、ちゃんと整ってる」


「“ちゃんと整ってる”って何」

 

きんさちがハラミをつまみながら参戦する。

 

「歩き方がイケメンですよね」


「歩き方で判断するな」


「いや、歩き方って大事なんですよ。イケメンは歩き方が静か」


「静かって何」

 

りほがレモンサワーを飲みながら言う。

 

「でもさ、ドヒュンキムって、イケメンやけど“手の届かない感じ”じゃないよな」


「わかる。なんか…“現実に存在するイケメン”って感じ」


「三次元の中の上位互換ね」

 

 

そこで、ぼくはどさくさに紛れて話題を滑り込ませる。

 

「え、じゃあさ…俺ってどのへんなん?」

 

りほがタンを裏返しながら、一瞬だけ真面目な顔になる。

 

「ららた? ららたは普通にイケメン」


「普通に?」


「うん。ドヒュンキムほどじゃないけど、インステ内では強い」


「インステ内で強いって何」


「なんか…“部内ランキング上位”みたいな」

 


そもそもぼくのインステに男子はぼく一人だけれど、ほめられるのも悪い気はしないのでつっこまないでおいた。

 

 

 

りほがレモンサワーを追加しながら言う。

 

「てかさ、ディベーターって恋愛弱いよな」


「急に刺すな」


「いや、論理は強いのに恋愛は弱いって、なんか…もったいない」


「もったいないって何」

 

 

かしおかがカルビを裏返しながら、妙に冷静にまとめる。

 

「でもさ、恋愛もBP形式にしたら勝てるんかな」


「いや、恋愛で“反論の機会”とかいらんやろ」


「“POIいいですか?”って言われたら嫌やな」


「嫌すぎる」

 

 

りほが急に別方向に飛ぶ。

 

「てかさ、熊本の人って優しくない?」


「急に地域性」


「いや、今日コンビニでさ、店員さんめっちゃ優しかった」


「それはその人が優しいだけ」


「そうなん?」


「そう」

 

 

きんさちがまた別の話題を出す。

 

「てか、明日の朝ごはんどうします?」


「話題の飛び方が後輩」


「いや、お腹すくじゃないですか」


「今焼肉食べてるけどな」

 

 

換気扇がゴーッと鳴っていて、店内の煙がゆらゆら揺れている。

その煙の中で、
“4位の悔しさ”も
“ジャッジのやらかし”も
“イケメン序列”も
“恋愛の弱さ”も
“熊本の店員の優しさ”も
全部いったん焼かれて、どうでもよくなっていく。

 

焼肉って、そういう料理。

 

 

ちなみに奥の席ではタンクトップのedudriftニキがデートしてた。

 

 

 

 

二日目も僕は相変わらずジャッジしていたけれど、りほとかしおかは急に覚醒して連続1位を取っていた。

 

そして運命のラウンド6。

ふたりはバブル。
僕もバブル。
やごのパネル。

ORの空気が、いつもより重い。
誰も喋らない。
喋ったら運命が変わりそうで。

 

ラウンド部屋に入ると、スピーカーの声、ジャッジのペンとタイピング音、全部がいつもより大きく聞こえる。

 

ラウンドが終わった瞬間、全員が一斉に息を吐いた。

手応えは…


正直、なかった。

でも、“何かが起きた気がかもしれない”そんな空気だけが残っていた。

 

 

ブレイクナイト会場はクラブだった。

雑談をしていると、会場が暗くなり、スライドが映る。

 


まずはブレイキングチーム。

こちゃまるとゆういちさんが呼ばれ、
日本勢が次々と名前を呼ばれていく。

 

スピーカースコアの平均がやたら低いチームが出てきた。
りほとかしおかだった。



そしてジャッジブレイク。

 

名前が呼ばれていく。
僕は落ちたときのリアクションを考えていた。

Mikko Vitug
minami matsushima
Nasa Tsuchiya
ときて、

 

 

 

「Rarata…」

呼ばれた。

 

一瞬、世界が止まった。
そのあと、急に音が戻ってきて、会場が揺れた気がした。

 

周りの日本勢が、
「やったやん!」
「すごい!」
「おめでとう!」
って、自分のことみたいに喜んでくれた。

 

少し遠くにいたみなみも来て、


「ほんまにすごいで」

 

 って言ってくれた。

 

 

その瞬間だけ、熊本駅の静けさも、永遠のやらかしも、全部報われた気がした。




 

 

 

 

 

 

 

 

一年経って、気づいたら関空にいた。

別に“気づいたら”のはずはないのだけれど、こういうときってだいたい気づいたらそこにいる。

 

家を出て、電車に乗って、荷物を引きずって、ちゃんと全部やってきたはずなのに、

記憶の中ではワープしている。

 

KDSの後輩たちと関西の先輩たちに合流して、ぞろぞろとチェックインカウンターへ向かう。「杭州」の文字が電光掲示板に出ていて、ああ、これが今日の“行き先”なんだなと理解する。

 

 でも、理解したところで実感はない。

 

だって、ぼくはまだ関空にいるし、まだ日本語で考えているし、まだ“海外に行く人”の顔になれていない。

 

パスポートを差し出す。

この薄い冊子一冊で国境を越えられるって、よく考えたらすごい。

学生証なんてカラオケの割引くらいしかできないのに。



飛行機に乗り込むと、さっそくCAさんの挨拶が中国語だった。

アナウンスも中国語。

ぼくの脳が「え、字幕は?」と探し始める。

もちろん出てこない。

ここからは“字幕なし”で進むらしい。

 

その瞬間、ようやく実感が追いついてくる。

ああ、いよいよ日本の外に出るんだな、と。

 

でも、まだ飛行機は動いていない。

ぼくはまだ座席に座っているだけ。

つまり、まだ“出国した人”ではない。

ただ、“出国しそうな人”だ。

こうして、ぼくの初海外は、

 「まだ何も始まっていないのに、始まってしまった気がする時間」

 から静かにスタートした。



中国に着いて、長蛇のイミグレを抜けると、スーツケースがぐるぐる回っていた。

ああ、海外でも結局やることは同じなんだな、と安心する。

 

「荷物が出てくるのを待つ」という、

世界共通の“暇な時間”。

しんたろうのスーツケースが流れてきた。

黄色い警告テープが巻かれている。

まるで「この人、なにかやりましたよ」と荷物が自己申告しているみたいだ。

 

しんたろうがゲートを通ろうとすると、突然、警告音が鳴り響いた。

空港の警告音って、なんであんなに“正義感の強い音”なんだろう。

 

「はい、アウトー!」みたいな。

係員がすっと現れて、しんたろうを税関の奥へ連れていった。

 

ぼくたちは特に止められず、そのまま出口へ向かう。

そして、ぼくはそのとき思った。

 

——ああ、しんたろうにはもう二度と会えないんだな。

もちろん、そんなわけはない。

たぶん数分後には普通に出てくる。

でも、あの“連れていかれる背中”って、妙に物語の終わりっぽい。

だから、ぼくの中ではあの瞬間、

しんたろうは一度“物語から退場した”ことになっている。

 

空港を出た瞬間、空気の匂いが変わった。

別に“臭い”とか“いい匂い”とかじゃない。

ただ、日本の空気とは違う。

 

なんというか、湿度の奥に知らない国の生活が溶けている感じ。

「これが海外の匂いか」と思ったけど、海外って国ごとに違うから、たぶんこれは“海外の匂い”じゃなくて“杭州の匂い”なんだろう。

 

でも、ぼくはまだ杭州のことを何も知らないので、とりあえず“海外の匂い”として処理しておく。

 

ホテルのロビーに入った瞬間、

 「あ、静かじゃないんだ」と思った。

さっきまで“海外のホテル=静かなロビー”という勝手なイメージで歩いてきたのに、

現実はホテルマンが横の女性従業員に大声で話しかけていて、その声がロビー全体に響き渡っていた。

 

別に怒っているわけじゃない。

ただ、声が大きい。

 “声量のある日常会話”というジャンル。

その横で、ぼくたちはチェックインを待っている。

 海外のホテルのロビーって、もっとこう…

 「シーン…」みたいな空気を想像していたのに、 実際は「お前いやそれはさぁ!」みたいな、ほぼ職場の休憩室だった。

 

チェックインを済ませて部屋に入ると、部屋は広かった。広いのは嬉しい。

 でも、広いのにうるさい。

 

窓の外から車のクラクションが聞こえてきて、杭州の夜景がちかちかしている。

“広い部屋”って、本来は“静けさ”とセットであるべきなのに、ここは“広い”と“うるさい”が同居している。

 

まるで、「広さで静けさをカバーできると思ってる部屋」みたいな。

ベッドに座ってみても、やっぱりうるさい。

 でも、うるさいのに、なぜか落ち着く。

 海外に来た実感が、音の多さでじわじわ押し寄せてくる。

——ああ、これが“海外のホテルの夜”なんだな。

静かじゃないのに、静かに始まる夜だった。

 

ホテル周辺

ホテルの目の前に、看板の光がちょっと弱い日本料理屋があった。
店の前に貼ってあるメニューの写真も、“プロが撮った”というより“店長が頑張って撮った”感じで、なんとなく安心する。

「ここでいいか」
「近いし安いし、もうここでいいやろ」
そんな“遠征の夜の合理性”だけで決まった店だった。

 

店に入ると、木のテーブルが少し傷んでいて、壁のポスターも色あせていて、

でもその“ちょっと古い感じ”が逆に落ち着く。

 

ぼくとしんたろうはうなぎを選んだ。


理由は特にない。
ただ、写真の照りが良かったから。

 

かつゆきとゆうとはラーメン。
「こういう店のラーメンって、意外と当たりなんだよ」と、ゆうとが言う。
その“根拠のない自信”が妙に説得力を持っていた。

 

料理が来ると、ぼくのうなぎは少し生臭かったけれど、「この値段でこれなら十分やん」としんたろうが満足そうに言う。

かつゆきとゆうとのラーメンは、日本のとスープが違くて、2人とも「うーん」と同時に言って顔をしかめた。

 

問題は会計だった。

ぼくは、みんなが現金もアリペイも持っていないので、代表してスマホを出した。

 

QRコードを読み取る。
までは順調。

 

そのあと、画面に何かが出てきて、店員さんが中国語でぼくに説明してくれる。

 

「…………?」

 

ぼくは一文字もわからない。店員さんはさらに説明してくれるけど、ぼくの理解度はずっと0%のまま。

 

しんたろうが横で、
「なんて言ってるん?」
と聞いてくるけど、ぼくも知らない。

 

店員さんは少し困った顔をして、レジ横のメモ帳を取り出し、サッと漢字を書いて見せてくれた。

 

你的密码

 

ぼくはそれをスマホで読み取って、やっと意味がわかった。

 

パスワード。

 

「あ、パスワードか…!」
ぼくが言うと、3人とも「なるほどな」という顔をする。

 

パスワードを入力すると、ようやく“ピッ”と決済が通った。

店員さんが笑顔でうなずいてくれて、ぼくも「しぇーしぇー」とぎこちなく返す。

 

 

店を出ると、ゆうとが「初アリペイおめでとう」と言い、しんたろうは「よう頑張ったな」と肩を叩いてくる。


かつゆきは、「でもあれ、初見でわかるわけないよな」と、妙に優しいフォローをしてくれた。

 

レストランを出て、4人でホテルのほうに歩きながら、
「コンビニ行く?」
「行くやろ」
と、ほぼ反射で決まった。

 

日本料理を食べた後に、次に向かうのもまた日本発祥の“ファミマ”。
どこにいてもぼくたちは同じようなことをしている。

 

ファミマの自動ドアの前に立つと、あの 「チャララ〜ン♪」 が流れた。

ぼくは思わず、「おー、鳴るんやー」と盛り上がった。

 

かつゆきが笑いながら、「海外で聞くとなんか感動するよな」と言う。

ゆうとは、「これ聞くと“帰ってきた感”あるわ」と、なぜか日本に帰国したみたいなことを言う。

 

しんたろうは、「いや、ここ中国だけどね」と冷静にツッコむけど、そのツッコミもどこか嬉しそうだった。

 

店に入ると、棚の並びは日本とほぼ同じなのに、ラベルのフォントが微妙に違っていて、“海外のファミマ”感がちゃんとある。

ぼくは水を一本手に取った。
ただの水なのに、なんか“旅の水”って感じがして、ちょっとだけ特別に見える。

 

ゆうとは謎のスナックをカゴに入れ、「これ絶対まずいけど買うわ」と、いつものノリ。

 

しんたろうは、「俺は普通のやつでええわ」と言いながら、結局いちばん無難なポテチを選んでいた。

 

レジで会計を済ませて外に出ると、杭州の夜の湿った空気がふわっと体にまとわりついて、さっきのファミマの音楽がまだ耳の奥に残っていた。

 

ただ水を買っただけなのに、なんか“遠征の夜のワンシーン”としてしっかり記憶に残る感じがあった。

 

 

ファミマで買った水を持ってホテルに戻ると、3人は自然にベッドの上に座って、
スナックを並べ始めた。その動きが妙に慣れていて、“大学生の夜の標準装備”みたいだった。

 

なんでそんな話になったのかは忘れたけれど、ぼくが

「電気代最近高くね?」というと

3人が同時に、
「え、そうなの」
と言った。

 

ゆうとは、
「俺、家の電気代知らんわ」
と素直に言い、

しんたろうは、
「ガス代っていくらくらいなの?」
と聞いてきた。

 

かつゆきは、
「水道代って、使ったら使った分だけ増えるん?」
と真剣に聞いてきた。

 

ぼくは、
「当たり前やろ」
と言った。

 

3人は「へぇ〜」と感心していた。
なんか平和だった。

 

ゆうとが、「全然関係ないけど、俺、レポート“あとでやる”って言って、気づいたら締切の3時間前なんだよね」と言った。

 

しんたろうも、「わかる。『明日の朝やろ』って言って、朝になったら『昼にやろ』ってなる」と頷く。

 

ぼくは、「俺、レポートのタイトルだけ書いて寝たことある」と告白した。

 

かつゆきは、「タイトル書いたらやった気になるの、大学生あるあるだよな」と言った。

3人は「それな」と言っていた。
全員、心当たりがあるらしい。

 

しんたろうが、
「俺んちの机の上に、誰も触れてない紙袋あるんだよね」
と言った。

ぼくが「何入ってるん?」と聞くと、しんたろうは首を振る。

「知らん。怖くて開けてない」

 

ゆうとは、「それ、前期のシラバスとか入ってそう」と言い、

かつゆきは、「開けたら“未来の自分へのメモ”とか出てきたら怖いな」
と適当なことを言った。

 

ぼくは、「それはない」と言った。

3人は笑っていた。

 

気づいたら、
全員ベッドに寝転んでスマホを触っていた。

誰も何も言わないのに、
全員同じ姿勢になっているのが面白かった。

ぼくは、「この時間、何してるんだろうな」と思ったけど、特に答えはなかった。

 

そのあと、ぼくとしんたろうは追い出されて、自分たちの部屋に戻った。

大学生の夜は、だいたいこういう感じで終わる。

 

部屋の照明は少し黄色くて、その色が4人のしょうもなさをやわらかく包んでいた。

海外のホテルなのに、部屋の中だけは完全に“いつもの4人”で、なんか安心した。

こういう夜が、いちばん記憶に残る。

 

 

翌日、2ラウンドのディベートを終えた夜、ぼくたちは火鍋屋に向かった。

 

ディベートって、終わった瞬間は「もう喋りたくない」と思うのに、歩き出すと急に元気が戻ってくる。

あれはたぶん、脳が「もう責任のある発言はしなくていい」と判断したからだと思う。

“自由な会話モード”に切り替わる。

 

ホテルが空港の近くだったので、中心街の火鍋屋に行くには、まず地下鉄に乗らないといけなかった。“海外で地下鉄に乗る”という行為は、なぜか飛行機に乗るより緊張する。

 

 飛行機は座っていれば勝手に目的地に着くけど、 地下鉄は自分で乗り換えたり、降りたりしないといけない。つまり、責任が発生する。

 

駅に入ると、空港の静けさとは違う、“生活の音”が広がっていた。

 アナウンスはもちろん中国語で、ぼくの脳は「翻訳ボタンどこ?」と探し始める。

 そんなものはない。

 

改札を通るとき、

 「これ本当に通れるのかな」と一瞬不安になる。

 海外の改札って、 “通れそうな顔”をしていない。

なんか、こちらを信用していない目をしている。

ホームに降りると、電車が思ったより静かに入ってきた。

 

 中国の地下鉄って、もっとこう…

 「ガタンゴトン!」みたいな勢いで来るのかと思っていたら、 意外とスッ…と来る。

 むしろ日本より丁寧。

 

車内に入ると、知らない言語の会話が飛び交っていて、それがBGMみたいに聞こえる。

意味はわからないけど、“生活してる人たちの音”という感じがして落ち着く。

中心街の駅で降りて地上に出ると、街の空気が一気に変わった。

 看板の色が強い。

 赤とか黄色とか、「目立つ気満々です」という色ばかり。

 

信号待ちをしていると、車がクラクションを鳴らしながら通り過ぎていく。

 

 中国のクラクションは、 “注意”というより“存在アピール”に近い。

 「ここにいるよー!」みたいな。

そんな街を歩きながら、 ぼくたちは火鍋屋に向かっていく。

ディベート2ラウンド終わりの疲れと、海外の街を歩く高揚感が混ざって、なんとも言えないテンションになる。

——ああ、いま確かに海外にいるんだな。

 

火鍋屋の赤い看板が見えたとき、その実感がようやく完成した。

 

火鍋を食べ終わって店を出ると、体の中がまだ赤いスープで熱かった。

 

 「せっかくだし西湖行く?」という流れになって、ぼくたちはそのまま歩き出した。

西湖って、もっとこう…

 “世界遺産の湖です”みたいな、静かで神秘的なイメージを勝手に持っていた。

 

でも、着いてみたら、なんか“不忍池”だった。

ライトアップはしてるんだけど、その光が水面にうまく反射してなくて、

ただの暗い池みたいになっている。

 

西湖


観光地のはずなのに、
散歩してる人たちのテンションも低めで、「夜の不忍池にいる大学生」みたいな空気。

湖の向こうに高層ビルが見えて、その明かりが妙に生活感を出してくる。

 

世界遺産のはずなのに、“池袋の手前”みたいな雰囲気。

ぼくはその景色を見ながら思った。

——あ、西湖って夜はこうなんだ。

火鍋の熱気がまだ残っていたせいか、その“普通さ”が逆に心地よかった。

 

そこで、やごに「湖」と「池」の違いについて聞かれた。

 

ぼくは、

「まあ、大きさですね。でも、結局は“呼び方の問題”っていうか」

と言った。

 

やごは、西湖をじっと見つめながら言った。

「じゃあ、これも“気持ちの問題”で湖ってこと?」

 

「まあ、そうなるね。  気持ちの問題で湖ってこと」

 

やごは納得したような、してないような顔をしていた。

「でもさ、今日の西湖、気持ち的には“池”じゃない?」

 

ぼくは笑ってしまった。

「うん。今日のは池だね。  “西湖(夜は池)”って感じ」

やごは「やっぱりね」と言って、 スマホで写真を撮っていた。

 

 

ホテルへの帰りにはタクシーを利用したのだけれど、カーチェイスなみのスピードを出していた。やごたちが乗るタクシーを猛スピードで追い抜いたときには感動した。

 

明日、勝てる気がした。

 

 

 

翌日、3ラウンド連続で勝った。1位。ラウンド5終了時点でTabのトップに居た。

 

でも勝ったはずなのに、あまり“勝った感”がない。

インラウンドって、勝利の瞬間が地味すぎる。

ゴールネットも揺れないし、ガッツポーズも出ない。

ただ、ジャッジが紙を見て「うん、1位ですね」と言うだけ。

でも、3つ並ぶとさすがに実感が出てくる。

 

ラウンド6は負けたけれど、そのままブレイクして、クオファイも勝った。

 

 

勝ったのに、なぜか“勝ってる実感”が追いついてこない。

大会って、勝つほど現実味がなくなる。

負けたときのほうが、よっぽど実感がある。

 

 

お昼は大会側がお弁当を用意してくれていたのだけれど、口にあわなかったので、ぼくとかつゆきはピザハットをテイクアウトした。

 

昼食スペースに指定されていた、ホテルのレストランで買ってきたピザを食べながら、ナゲットを開けた。

 

箱を開けた瞬間、あの小さいBBQソースの容器がひとつ、ぽつんと入っているのが見えた。

そこで、ふと気になってしまった。

 

「ねえ、かつゆき」

 

「ん?」

 

「ナゲット頼むと、ソースついてくるじゃん。この小さいプラスチックの容器に入ったやつ」

 

「うん。ついてくるね」

 

「……これさ、毎回ちょっと足りなくない?」

 

 

かつゆきは、“なんでそんなこと言い出すの”という顔をしていた。

 

 

「え? 足りるでしょ。普通に配分考えて食えば」

 

その“普通に”が、ぼくには刺さった。

 

「いや、配分を『考えなきゃいけない』時点で、もうシステムとして破綻してると思わない?ぼくらはナゲットを食べに来てるわけであって、ソースのペース配分っていう頭脳戦を強いられる筋合いはないわけよ」

 

かつゆきは、「頭脳戦って。大袈裟だな」と笑っていたけれど、ぼくは本気だった。

 

 

「じゃあさ、かつゆき。1個目のナゲットにどれくらいソースつける?」

 

「え? ……これくらい?」

彼はナゲットの先端に“ちょこん”とつけるジェスチャーをした。
その“ちょこん”が、ぼくにはどうしても許せなかった。

 

「甘い。それ、完全にソース側の“舐めプ”に付き合わされてるから」

 

かつゆきは、「舐めプって何」
と笑っていたけれど、ぼくは続けた。

 

「考えてみて? ナゲットの大きさに対して、そのソースの量は圧倒的に少数派なわけ。本来、ナゲット側はもっとソースを欲してるの。全面に。でも後半の枯渇を恐れるがあまり、1本目をその“ちょこん”で妥協してるんでしょ?」

 

 

かつゆきは少し黙って、
「……いや、俺は別に妥協してないよ?単に、そのバランスが美味しいからそうしてるだけで」と言った。

 

 

ぼくは、そこで切り札を出した。

「じゃあ、もしソースが“おかわり自由”だったら?」

 

「え?」

 

「店員さんが横で、 “ソース、わんこ蕎麦スタイルでいくらでも追加しますよ”
 って言ってくれる環境だったら、本当にその“ちょこん”でいく?」

 

かつゆきは、
「……まあ、もうちょっとベチャッといくかもしれない」
と小声で言った。

 

 

ぼくは勝利を確信した。

「ほら!!!ほら見ろ!!!結局かつゆきも、環境に支配されてるんだよ。本当はもっとディープにソースと関わり合いたいのに、この小さな容器っていう枠組みの中で無意識に自分をセーブさせられてるの」

 

 

かつゆきは、「……めんどくさ」とだけ言った。

 

 

「じゃあ店員さんに “BBQソースもう一個ください”って言えばいいじゃん。言えばくれるよ?」

 

 

ぼくは首を振った。

 

「それは負けなの」

 

「負けって何だよ」

 

 

「“標準のソース量では満足できない、異常なソース消費野郎だ”って厨房で思われるリスクを背負うことになるじゃん」

 

 

「思わないよ!店員さんそこまでららたさんに興味ないから!」

 

「思うよ。 “あ、日本人のソースおかわり男、また来た”って絶対言われる」

 

かつゆきは、「言わないって」と呆れていた。

 

 

そのあと、彼は黙ってナゲットを1個取り、ソースをたっぷりつけて食べた。

 

 

ぼくはすかさず言った。

「あ!!!ずるい!!!今わざと多めにつけたでしょ!!!」

 

 

かつゆきは、
「うるさいな、もう。冷めるから早く食えよ」
と言った。

 

その言い方が、なんか妙に優しくて、ぼくはちょっと笑ってしまった。

 

 

 

こうしてかつゆきとのディベートに勝ったぼくは、セミファイを迎えた。

 

論題はイラン。

よりによってイラン。

よりによってCG。

 

ぼくたちは中華テーブルみたいなところに座って、部屋の後ろにはジャッジ陣がずらりと並び、それなりにオーディエンスも来ていた。

 

ぼくたちはそこで大やらかしをした。

 

 

 “やらかした”というより、 “途中で自分が何を言っているのかわからなくなった”に近い。

 

 言葉が自分の口から出ているのに、自分の言葉じゃない感じ。

 たぶん、あれは別の誰かのスピーチだった。

 

ラウンドが終わった瞬間、チームメイトのゆうかがぼくのほうを見て、「たぶん負けたと思う」と言った。負けた顔をしていた。ぼくも同じ顔をしていたと思う。

 

結果発表まで時間があったので、ぼくたちはマンゴージュースを飲みに行くことにした。

 

 “敗北を自覚した人間が飲むマンゴージュース”ほど、甘いのに苦い飲み物はない。

 

店のプラスチックのカップを持ちながら、ゆうかが「まあ、しゃあないよな」と言って、ぼくは「うん」とだけ返した。

 

それ以上の言葉は必要なかった。

マンゴージュースが全部説明してくれた。

 

——勝ち上がってきたのに、

最後の最後で“大会あるある”みたいな負け方をした。

でも、マンゴージュースは美味しかった。

それだけは救いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

ブログ担当を拝命して以降、ご多忙の中多くの方に寄稿していただきました。

感動するブログもあれば、勉強になるブログもありました。

ぼくの知る限りいまだにブログを更新しているインステはKDSとUTDSくらいなのではないかと思いますが、いろいろな方の協力もあって京大ブログは独自の地位を築くことができたのではないかと思います。

 

さて、早いものでぼく自身ももう4回生になってしまいました。

もちろんいままでのディベートキャリアの中ではうまくいかないことのほうが多かったけれど、そんな中でもなにか目標を見つけて頑張れた時期もありました。

 

でも、ぼくよりも輝かしいCVがあるひとはたくさんいるし、努力が報われないつらさを知っている人もたくさんいます。

 

そんななかで、自分が描けるのはそうした勝ち負けに関わる青春ではなく、ディベーターとして生きる中でのしょうもない日常なのではないかと思い、前作の「しがないディベーター」に引き続き、このブログを書きました。そのため題材こそメジャーではあるものの、ほかの方が書かれるような「NEADCに出場するまでの経緯や苦悩」「結果に対する評価」などは割愛し、日常の延長線上にあるものとして描くことを心がけました。

 

ディベートをあきらめないで続けようという、強いモチベーションを与えることができるような感動的なブログではありませんが、ディベートコミュニティのあたたかさやおもしろさが少しでも伝われば嬉しい限りです。

 


このブログはフィクションです。一部の登場する団体、名称、人物等とその発言は実際のものとは関係ありません。

 


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【(終)卒業編2026④】感謝と学びのディベート道

こんにちは!ブログ担です!

 

今回は、卒業ブログリレーの第四回にして最終回です。

アンカーを務めていただいたのは九州大学を卒業された、ひらいゆうなさんです!

 


 

初めまして、QUDS卒業生のひらいゆうなです。

この度は、京大ブログに寄稿する機会をいただき、ありがとうございます。

(大変しめきりから離れてしまったのにも関わらず、待ってくれたブログ担当のららたも、ありがとう。)

 

卒業するにあたって、ディベートについて考えてきたことを少し述べさせていただこうと思います。

 

(思い出話もちょくちょく、少し長め&自分の話が多めです、申し訳ございません。)

 


1. はじめに

自身のディベートを振り返ってみて、正直反省や、これもできたな、という後悔も大きいかな、と思います。ディベートそれ自体が面白いな、と思うのも、もちろん (最終的には)あったのですが、「勝ちたい」「競技や勝負から離れることで、自分が積んできたものやコミュニティを失ってしまう」ことへの恐怖もありました。

 

少し自身のディベートを振り返りながら、どうしてそう感じているのか、お話させてください。

 

2. 振り返り

なんとなく九大のESSに入部を決めました。大学からディベートをはじめて、帰国子女でもなかったのですが、なんとなくQUDSの雰囲気が好きで。はじめての練習「THW ban tabacco」で、(先輩からもらった原稿を上から読んだ) スピーチをHung様 (QUの先輩)に褒められて、「意外といけるかも?」と勘違いするところから、競技の道が始まりました。当時は、7分喋るので精一杯でしたが、周りの先輩方が優しく続けることができました。

 

1年生の時に対面大会で、梅子杯に出ました。R4で当たった相手は英語が早くて、よくわからず、バブルで負けてルーキーブレイク。

 

次の日にOpen QFを観戦しに行きました。早稲田 (R4の相手)とつくばの試合でした。何が起こっていたかよくわからなかったけど、すごいなあって思って帰ったのを覚えています。

 

自身のルーキーGFは、緊張で、何を言っているんだろう、っていう感じだったのですが、「嘘をつけない世界が良い」というモーションで、KDSのみつしさんがブログで書いてらっしゃったことが自作のノートに書いてあって、それを読み上げるスピーチ。自分はDPmだったけど、LOの話は分からず。

 

自身のルーキーGFが終わった後は、同じ場所で行われていたOpen GFをみました。かっけえ、って思って。さっきまでの自分のそれとは異なる高いクオリティのスピーチでした。自身のRGFのスピーチとそれを比べて、すごい恥ずかしい気持ちになったのを覚えています。

 

この頃は、QU以外にもICUとQUがやっていた合同練に顔を出して、練習をしたりしていました。受け入れてくださったICUの方、本当にありがとうございます。

 

他にも1年生の時の学年大会で、一橋の宇宙人にキャリーしていただいてOpen カテゴリーのGFまで初めて連れていっていただいたり、2年生になって、初Open Breakを達成したり、オンライン大会を京都でジャッジしてみたり。同期に引っ張ってもらって、学年大会で油そばをゲットできたり (この時のチーム名は許していません笑) とっても、楽しかったです。




3年生になって。春Tに全力投球して、長い冬眠につくつもりでした。とある大会でブレイク落ちしたのを、一生引きずっていて、もういっかな、って思う瞬間の方が多くなってきて。精神的にも限界がきていたのもこの頃です。3ヶ月前からめちゃくちゃ練習したつもりでしたが、R1で負け、いきなり後がなくなり。バブルも競り勝ち、なんとかブレイクしましたが、Pre SFで、一発で散りました。



3年生の時は、QUDSの練習には毎週出て、練習していたけど、あんまり大会には出ず。秋TもJBPもなし。結局熊本のNEADCの会場にはいったけど、出場することはなかったです。(馬刺しは、美味しかったです。)

 

同期がJBPでFinalに行ったり、NEADCでの活躍をみたり、NDOで優勝したり、どこかでブレイクしているのを聞いたりしている一方で、僕は就活で忙しい、といって言い訳をしていました。

 

この時期は、大会に出る足が重かった。やっぱり周りが勝っている中、自分だけブレイク落ちはいやだし。練習して勝てないと、費やした時間が無駄になってしまったように感じるし。九州で大会のDiscordを追う方が気持ちが楽でした。

 

それでもオンラインレクチャーには参加していたし、なんとなくスピ練は続けていたし、心の中ではどこか自分も勝ちたいな、って思ってたのかもしれません。



最終学年になっても、最初のNDOと春Tは、もちろん見送り。4年生の前半は、QUDSの練習にでたり、後輩と練習をしたり、スピ練をしたり。まさおーぷんにも参加させていただき (ありがとうございます)、元気に経済 motionで、(経済学部なのに笑) 4位を取ったりして。



このまま、大会に出ることなく卒業かなあ〜って思っていた矢先、秋Tに後輩に誘ってもらいました。悪魔の契約を僕と結んでもらったので、出場を決めました。



でも出るからには後輩と組んだのを言い訳したくなかったので、今までやっていた日々のスピ練を続けながら、あんまりやってこなかったリサーチにも取り組み始めました。ちなみにセルビアとEUもがっつりリサーチしました。あまりに遅いですよね。



秋Tでは、幸運もありながらも、他の方には遠く及ばないのですが、自分自身が想像していたよりも良い成果が発揮できて、少し嬉しかったです。QFで、(また)つくばに抜かれて散りました。(なんならR3も笑) 梅子から何も変わっていないことを悟りましたが、総じて気分よく大会を終えることができたな、と思います。

 

それもあって、NEADCもそれなりの成果が出せるのではないか、と期待していたところがありました。

 

3 欠けていたもの

ディベートをする上で、自身に一番足りなかったことは、一言で言うとマインドセットだったのかな、と思います。ここまでくると、もはや当たり前の帰結だと思うんですけど、、

 

もちろんディベートをする上で必須なのは、ディベートで使うマターや、それより上位に来る一般化された、どんなモーションでも使えるような思考技術 ( (例)立論の立て方) だと思うのですが、でも最終的には、これらには誰でもアクセスできます。オンラインでのレクチャーが無料で広がっているし。



ただマインドセットはそれと比べて陳腐化しません。ここでいうマインドセットとは、その人の行動を規定するもので、やや抽象度が高いものだと感じています。例えば、自主練をする時、フィードバックを受けた時、相手のスピーチや音源を聞いた時に、どのように考えて、それを受け止め、自身の血肉にするのか、その行動一つ一つを支える、いわばパソコンのOSのようなものなのかな、認識しています。

 

マインドセットは音源やマターファイルと違って、なかなか公開されておらず、自身での試行錯誤が必要だな、と感じています。



なぜ、マインドセットが大事だと感じるようになったのか。

 

少し振り返りのところに戻るのですが、今年自分自身が出た大会の中に、NEADCがありました。この大会は、自分にとって初めてのメジャーで、対面で出る2回目の海外大会でした。

 

卒業する前に心のどこかで、一回はでてみたいな、とも思っていたし、他のディベーターと比べても、自身にはABPやNEADCなど大きな海外大会でのブレイク経験はおろか、参加した経験もなかったので出ました。



ACの中に知っている同期がいて、とても安心したのもあります。実際、(海外が2回目だったのもあって) 結構当日は緊張していたんですけど、その方や、日本勢の知り合いの人と話して安心しました。

 

いざ試合が始まると、NEADCではR4までは、望外の結果でした。あまりモーションが掴めず、良いスピーチができないことが多かったのですが、調子が良かったです。(ちなみ、予選では、ゆーかに2回当たって、しっかり負けました、うますぎるてスピーチ)

 

迎えたR5。ポジションはCOでした。IR (?)のmotionで、イスラエルと日本が絡むmotionでした。プレパはそこそこ順調、イスラエルリサーチをしていた甲斐もあって、Openingが言ってきそうなこともなんとなくわかりました。

 

結果は残念ながら4位。日本政治の詳しい情報を下にスピーチを構成してしまい、良いデリバーができず。当たり前ですが、海外大会で特定のコンテキストを(知っていることを)前提としてしまっているケースを立てるのはリスキーでした。

 

R5終わって意気消沈し、流石にOpeningを引くかな、って思ったら、CG。雲行きが怪しくなってきました。(ちなみにアウトラウンドも両方Closingだった、許せない笑)。R6のmotionは、QU練で1回取り組んだことのあるモーションだったにも関わらずOPPのケースに対処できず試合が終了。

 

最後の予選を終えて、目標には届かなかったことを何となく悟りました。BAまでの時間は気が重たかったし、自身のインステがスライドに出た時は、ブレイクした喜びより、目標に届かなかったことへの絶望を感じてしまいました。(当時感情を抑えることができず、号泣していました。申し訳ないです。チームや周りの方に迷惑をかけてしまったな、と感じます)




最初のマインドセットにもどり、何が言えるか。もし早く挑戦をして3年生、あるいはもっと早い段階から海外大会等に出て練習を重ねていれば、R5で経験した負け方を、NEADCに参加する前に経験し、練習の方向性を調整できたかもしれない、と最後に気づきました。

 

一つのラウンド (一つの大会) くらい出来が悪くても、気にしない、というのは自身が2年生の時に、自分のインステの先輩から聞いた話でしたし、自身の悪い癖であることは認識していたのですが、やっぱり直すことができておらず、最悪のタイミングでそれが露見してしまった。

 

後悔先に立たずと言いますが、自身の弱さが、ここにきて一気に露見した感じがありました。失敗を恐れず挑戦するというのは、いうに易しですが、自身には全く足りていなかったマインドセットだな、と感じています。



4 学んだこと

ここまで散々ネガティブなことを書きましたが、ディベートで大きく学んだこともあります。英語が上手くなったな、周りで起きていることについて、日頃から気になったことは調べてみるということはもちろんなのですが、このブログでは少し違う観点から。

 

❶優しさ

 

やはり、この競技を通じて、優しさについて学ぶことができたな、と感じています。

 

とある時期に半年間ほど、スピーチの添削を受けていた時期があって。その方と直接話をさせていただいたことはほとんどない上に、とてもお忙しいのにも関わらず、引き受けてくださり、たくさん質問もさせていただいたのですが、必ず的確なフィードバックを下さりました。

 

インステが違くても助けてくださったこと、自身だけでなく、周りの方を引っ張ってくださる姿勢に強く感動しました。その方には決してなれない、と思っているのですが、まだ自分も頑張れるかも、って思うことができました。本当にありがとうございました。

 

また、4年間通して、大会をより良い方向にして行ったり、インステをより居心地の良いものにしていくために、様々なことを考えて行動に移して、いろいろな形でコミュニティに還元をされている方と出会うこともできました。これらはおそらく、ディベートをきちんとやっていなかったらありえなかったことなのかな、と思ったりしますし、自分もそうありたいです。大会ってそれを裏で誰かが支えてくださっているから、誰かが思い出を作ることができているんだなあ、と感じます。



❷運の話

 

ディベートを続けていく上で、やっぱり運が良かったです。振り返ってみると、自分が成長を必要としている段階で、必ず助けてくださりました。若葉ではつよつよ同期に組んでもらってやめずに続けられたし。(この時のCAの方がCA addressでおっしゃられていたことを今でも覚えています。)

 

1年生の時には、図書館でつきっきりで教えてくださる先輩もいました。他にも、プレパ練を見ていただり、スピーチを毎日添削してくださる方がいたり、インステが違くても練習をしてくれてモチベをくれる後輩の方がいたり。やっぱり自分は恵まれていたのかもしれないな、って思いました。

 

ディベートは、報われなかった時に目が行きがちだと思うんですけど、よくよく考えたらそんなことなかったです。



❸最後までやり切ること。

 

ディベートを始めた最初、ディスアドバンテージを埋める必要が少なくともありました。帰国生でも経験者でもない人が、前を走る人を抜き切る、少なくとも追いつくためには、同速度で走るだけじゃ不十分なのかな、と考えてきました。

 

ディベートの道のりで、あんまり人に誇れるものはないですが、自分は、1年生の冬から卒業する前まで、出来るだけ毎日15分プレパ → 7分Pmスピーチをするというのをずっとやってきました。これは自分がやりきったな、と思う中で一番大きいものです。

 

結果につながるかはわからないけど、少なくともそれをやってきたという小さな自信が大会に出場する勇気をくれるかもしれません。

 

5 まとめ

いろいろ書きましたが、まだまだ反省の余地が残る4年間だったな、と思います。やっぱり行動に移せなかったことが、最大のミスです。でもそれでも、楽しかったこと、勝負や思い出という観点から、たくさんありますし、他のことをやっていた世界線と同じくらい、いやそれ以上に楽しかったと感じる瞬間もありました。

 

ありきたりにはなってしまうのですが、ここまでディベートを続けられたのは、やはり周りの方のおかげだと感じるところが多いので、この場を借りて少しお礼を述べさせてください。

 

自信を温かく受け入れてくださったコミュニティの皆さん、QUDS、かんさいの方、本当にお世話になりました。いつも優しく接してくださり、本当にありがとうございます。とても楽しかったです。

 

同期の方へ。

 

活躍した、成果を出したということを聞くたびに、モチベーションをもらうことができました。ディベートを始めた当初から、正直ついていくので精一杯だったな、と感じる瞬間が多かったですが、とても励みになりました、ありがとう。





そういえば。この前卒業して出場したネモフィラカップは、後一歩だったのですが、最後まで続けていて良かったな、と感じる大会でした。自分が国内のオープン大会でファイナルにいけたのは初めてで、運が良かったなと思います。チームメイトと、コミュニティに感謝です。



少しネガティブな内容が多めになってしまったのですが、ディベート、総じて楽しかったです。



どのような向き合い方であれ、しっかり取り組めば学びが多い競技かと思います、自分なりに頑張ってみるのも、おすすめかもです。



長くなりました、ありがとうございました!またどこかで。

 

同期のなかまたち

ゆうなさん、ありがとうございました!

努力が望んだかたちで報われるとは限らないけれど、必ず力になっていくことがよくわかりました!

これにて今年度の卒業ブログは終幕です。みなさん、お読みいただきありがとうございました。


京都大学ESSは2021年度よりエンゼルグループ(株)様とスポンサー契約を結び、ご支援を頂いております。



【卒業編2026③】なんとなく続けた4年間

こんにちは、ブログ担です!

 

今回は卒業ブログリレーの第三回です。筑波大学を卒業された、ゆういちろうさんに寄稿していただきました!

 


 

こんにちは、筑波大学の畑友一朗です。今回のブログでは、タイトル通り自分のディベートについてなんとなく振り返っていきます。

 

この文を通して言いたいのは、今そんなにディベートがうまくいっていなくても、同期と比べて一生懸命に頑張れていないと思っても、自分のペースで四年間コミュニティに残り続けてもいいんじゃないかということです。自分は特に同期の中で初めから上手かったわけではなかったし、一番真面目にディベートに取り組んだわけでもなかったですが、結構満足のいくディベート人生を送れました。今同期との差を感じてディベートを続けようかどうか迷っている人に、続けていれば少し良いことがあるかもしれないと伝えたいと思います。 

 

 

高校まで: 

18年間奄美大島で過ごしてきて、海外に行ったこと一度もありませんでした。自分が英語ディベートを始めたのは高校一年生の頃でした。あんまり熱心な活動ではなかったです。僕は部室に行ってお菓子を食べながらだべることを目的に部活に行っていました。 

 

 

一年生: 

一年生の頃は基本的にディベートをするのがきつかったです。筑波大学のパーラメンタリーディベートサークルは僕とゆーきで立ち上げた感じなので、きちんとした基礎を教えてくれる先輩があまりいませんでした。

 

なぜか8月頃にUTの合宿に部外者ながら参加したんですが、その時には周りの同期とのレベルの差に愕然としました。元々自分より頭が良いはずの人間たちが自分より良い練習環境で自分より熱心に練習をしているのを見て、これはどうやって勝つんだ?この先ずっと勝てないんじゃないのか?と思いました。 

 

 

そんなことを思っていたらなぜか梅子杯は優勝しました。梅子の前に何の繋がりも無いのにエデュケをしてくれたみつきさんには未だにとても感謝しています。この時にディベートって別に強い人が毎回勝てるわけでもないんだなーと思って希望が湧きました。自分もゆーきもスピーカープライズには入っておらず最下位ブレイクだったのでマジで運が良かったです。若干調子に乗りかけましたが、調子に乗ることを許さない存在がいました。隣にいる加藤優貴です。一年生の大会でゆーきにスピークスで勝ったことは一度も無かったし、組む時はプレパのアイデアも基本全部ゆーきが出す感じでした。そんな状態なので、優勝したのってこれ全部ゆーきのおかげだよなー、自分って別に何もできないなーと思いました。 

 

しかしその後とうきょうみにでベストチームを取りました。この時はゆーきと組んではおらず、ゆーきのチームに順位で勝ってのプライズでした。まあスピークスは負けました。この経験によって若干調子に乗り、これからもディベートを続けていこうと思いました。 

 

そんな一年生時代でしたが、年度末に差し掛かったころ僕は記憶喪失になりました。スノーボードに行って頭を打ったためです。2か月ほど奄美で療養して、ディベートは一切やりませんでした。 

 

 

二年生: 

 記憶喪失から復帰した僕を待っていたのは強くなった同期たちと新しい世代でした。ゆーきに誘われて見に行った春Tで同期がオープンブレイクをして、アウトラウンドで自分には絶対にできないクソ上手IRスピーチをしているのを見てへこみました。

 

エリザベでは後輩を連れるどころではなく、自分のディベートのやり方も満足に思い出せていない中同期と当たってボコられました。

 

極めつけは6月のNDOで、僕は4月に入ってきたつくばの後輩にR4のバブルで当たって負け、向こうはオープンブレイクを果たしました。この辺りで大分心が折れかけていました。何とも不純な動機ですが、弱い自分でも肯定してくれる場所を求めて地域練習会とかに顔を出すようになりました。 

 

 

 なんとなくディベートが上手くいっていなかった時期から抜け出すきっかけはBP Novice Westでした。この時僕は関西の後輩とチームを組むことをお願いされ、みちると組むことになりました。流石に預かっている子をブレイク落ちさせてはいけないと思い、過去一の責任感と殺意を持って大会に出ました。結果としてGFまで進むことができ、ゆーき、ゆーか、ちさととのとても楽しいGFラウンドを経験できました。未だにMy favorite roundの一つです。

 

ここで後輩と組むことによるスイッチの入れ方を覚えた僕は、ますみつと組んで秋Tに出場しオープンブレイクをすることができました。当時のますみつは頑張っているけど芽が出ていないかわいいbabyでした。今では見る影もありません。その後NEADCにもますみつと出て、EFL semiまで進むことができました。Semiでは僕が二日酔いでプレパ5分前まで吐いていて、過去一ひどいスピーチをして負けました。ますみつには申し訳ないと思っています。 

 

 その後はJBPでクソ狭いエアビに泊まったり、紅葉で同期とワイワイしてベスアジュを取ったり、KDOで全敗したり、ICUTでチームダイナミクスがカスすぎて爆死したり、ざかんでオープンブレイクまであと一歩になったりと楽しい日々を過ごしました。振り返るとこの頃が一番楽しかったかもしれません。ディベートでは「あの老害を倒してやる!」というモチベーションの下、オープンでも段々通用し始めているという感覚があり、大会が終われば仲の良い同期、一個上、一個下の世代と旅行や飲み会を楽しんでいました。 

 

三年生: 

 三年生になって、ゆーきとほぼ一年ぶりにチームを組むことにしました。出場する大会はABP、この頃は難易度も分からずオープンブレイクを目指していました。そしてABPを目指して多くのプレABP・BP大会に出るようになりました。プレABPの結果は安定しているとは言い難いもののオープンブレイクやEFLブレイクができる大会もあるという感じでした。そして一緒に組むうちに、若干例の劣等感が頭をもたげました。大抵のプレABPではゆーきの方がスピークスが高く、またプレパ中に出てくるメカニズムのストックや音源の消費スピードにも差があったためです。 

 

 そんな中でABPに出場しましたが、結果は箸にも棒にも掛からぬブレイク落ちでした。はじめは良いペースだったんですが、最後の2ラウンドで4位を2度取ってしまい一気に失速しました。なさぱんがオープンファイナルに進んでいるのを見てすごいなあと思ったり、同期のなつみがEFL championになっているのを見てすごいけど悔しいなあと思ったりしました。ちなみにこの年のEFL finalのOWは(優勝はしてないんですが)神音源なのでWhipをやる方は一度見た方が良いです。反論の見せ方、つなぎ方、Intuitionの入れ方、Extensionの立て直し方、反論による結論の示し方、学ぶところしかないです。このスピーチには悔しさとかが吹き飛んでただただ感動しました。 

 

 というわけでABPはあえなく何もできないまま終わったんですが、飲み会で酔った勢いでゆーきと「まだ終われねえよなあ!」って感じになってNEADCに出ることにしました。この年二度目のメジャー大会です。ただ、ABPが終わってからこの大会まではお互いディベートモチベがほぼほぼ無く、一度も練習大会に出ないまま大会前日のスパーだけを事前練習として大会に出ました。大会当日のモチベーションとしては、「楽しく試合ができればいいなあ」くらいの感じでした。 

 

ただ、この大会は僕にとって転機になりました。この時は自分が結果にこだわっていなかったため、あるモチベーションの変化が起こったためです。試合中に「自分のスピーチで勝つ」と思うのではなく「ゆーきのスピーチで勝つ」と思うようになりました。3年次のABPシーズンを通して、自分の中にはなんとなく「一年生の時とは違う成長した自分を見せたい」「自分の力で試合に勝つことができると示したい」というような思いがありました。

 

ただ、一ヶ月ディベートから離れ結果へのこだわりが薄れたことでその時は「どーせゆーきが良いメカニズムとかを言うんだから自分がそれを邪魔するよりサポートする方が良くないか?」と思うようになりました。

 

結果としてこれが上手くいったのか、僕たちは初日から安定してポイントを積み上げ8位でオープンブレイクをすることができました。アウトラウンドではセミファイナルまで進み、自分は7th best speakerを取ることができました。信じられない幸運でした。そしてこの時から、チームメンバーのスピーチとラウンド中の他のスピーチのインタラクションを上手く見せることで勝つということの楽しさが分かってきました。ちなみにそう考えるようになってからIgnacioのスピーチが大好きになりました。 

 

四年生: 

 良いことがあると、悪いこともあります。ディベート人生って良い波と悪い波が数か月周期で入れ替わるような気がします。ということでNEADCの幸運のツケを払わされたのか、四年生になって早々悪い波が来ました。春Tのブレイク落ちです。僕らのチームはNEADC semi finalistの僕とゆーき、そこに昨年の春T優勝者であるますみつを加えた割とガチの布陣でした。しかしインラウンドでなささんと2回ぶつかり、Whipからボコされてブレイクできませんでした。あのTab運は終わってます。 

 

 気を取り直して、この年はABPとWorldsの2つのメジャーに出ることにしました。ABPにはますみつと去年のリベンジを果たしに、Worldsにはゆーきと最初で最後の経験にという感じです。 

 

 この年のプレABPシーズンでは、EFL Englishから来るスピーチの分かりづらさが自分の中で課題となりました。ジャッジにこのArgumentはこういう風に取ってくれ!と明確に伝える圧が自分には欠けていて、Argumentを意図した内容とは異なる方向で解釈されて負けるという悔しい日々が続いていました。そんな中、ある日いつものように適当な音源を聞いていた時、僕の前に神が舞い降りました。神はESLでした。Alekです。(EUDC 2023 ChampionAlekのスピーチで使われる英語は必ずしも奇麗で流暢なものではありませんでした。所々つっかえ、余計な一文が至る所に入っていました。しかしそれでもAlekのスピーチはとても分かりやすく、人に伝わる圧がありました。僕が克服するべき課題だと考えたEFL EnglishはAlekのスピーチにおいてはある種の味になっていました。これだ!と思いAlekを真似るようになり、スピーチの安定性が格段に増しました。 

 

 ますみつと出場したABPは過去一脳汁の出るジェットコースターのような大会となりました。まず僕らは序盤の入りが最悪でした。R1,2と連続で3位となり、R3では4位となりました。ブレイクとか言っていられる場合ではなく、大分諦めの空気が漂いはじめました。しかしまあ折角大会に来たんだからと臨んだR4でますみつのEconが炸裂し初の1位をゲットします。そして次のR5でも(恐らく)救いの手を差し伸べに来たYagoの前で中々良いスピーチをして連続1位をいただきます。R6は3位だったものの、怒涛の連続1位によってなんとかEFLブレイクに滑りこみました。この時は本当にほっとした気持ちになりました。その後のEFL semiも3-2スプリットで辛くも突破し、EFL GFに辿りつきました。 

 

GFではますみつがスピーチ前に僕に感謝を伝える、うるっと来るようなShout outをしました。しかしその後に大分こけたメンバースピーチをされて涙が引っ込みました。ただ、これで逆に集中力がMaxになったのか僕は過去一調子の良い会心のGWをすることができました。GFは中々レベルが高く、どのチームも可能性があるという雰囲気でした。ワンチャン無いかなあと思いながらResult announcementを聞いていると、GFは3-2-1-1 splitという聞いたことのない割れ方をしたことが先に告げられました。

 

緊張が高まった次の瞬間、CGの名前が呼ばれました。僕と益満は椅子から飛び上がって喜び、抱き合ってジャンプし、勢い余ってテーブルの上の赤いジュースをこぼしました。GFベススピもまた3-1-1-1-1 splitという常軌を逸した割れ方で、自分が獲得することができました。R3時点で持ち点2という絶望的な状況から考えると夢のような状況でした。状況の落差も相まって、ABPは僕にとって一番達成感のある大会になりました。 

 

ABPのEFL GFを勝った後、僕は若干のフィーバータイムに入りました。翌週、翌々週と出場したオンライン大会において連続でEFL champion, ESL championを取っていました。調子に乗っていると秋TでよしぱんとYagoにボコされてセミファイ落ちし、フィーバータイムは終わりました。そしてWorldsが始まりました。 

 

Worldsは僕にとって一番悔しい大会となりました。今年のWorldsの開催地はブルガリアのソフィアでした。ソフィアはとても寒くてどこか物悲しい雰囲気の場所でした。大会中は寒すぎるのと観光地が少なすぎるのでほとんどホテルから出ませんでした。WorldsのR1は最悪でした。Open break経験のあるチーム×2が部屋にいました。もう1チームはShadowだったのでここに勝つつもりで頑張ろうと思ったんですが、運悪くブルガリアモーションが出ました。ブルガリア出身のディベート経験のあまり無さそうなShadowがFactで殴ってきました。ということで4位を取りました。R2はRecordingされました。個人的にめっちゃ良いスピーチをしたなあと思ったんですが、2位になりました。よく分かりませんでした。その後はなんやかんやあって2日目終了時点で10点持っていました。大体14点~EFL break、15点~ESL break、16点~Open breakというくらいのテンションなのでまあまあ順調と言えました。同じペースで点を取れればESL break、ちょっと調子を落とすとEFL、調子が上振れればOpenもワンチャン?みたいな雰囲気です。 

 

Worldsの3日目というのは独特の緊張感のある日です。今日でディベート人生が終わるかもしれないという不安、Breakへの静かな期待、騒ぐ海外勢、毎年流行する謎のWorlds風邪などが相まってカオスな空気を作っています。この日は3ラウンド全てがサイレントになります。ということは基本的に全てのラウンドの結果が分からないわけです。これが異常な緊張感を生み出します。

 

しかし、ここには一つの抜け道があります。タブストーキングです。考え方としては簡単で、今試合をしている相手の前日までのポイント数からある程度自分の今いるラウンドのレベル感が分かるというものです。例えばR8の時点で当たった相手の2日目(R6)までのポイントが12ポイントだったとします。するとR6までで10ポイントの自分たちはR7では2位だった可能性が高い、というような感じです。まあプルアップ、プルダウンがあるので確実に分かるわけではなく、R9になると色々な可能性の分岐があってもう実質占いみたいになってきます。

 

でもWorldsって基本的に遅延が起こって暇な時間があるので、タブストーキングをしたい欲望に駆られる瞬間があります。僕とゆーきはこうなることを見越して予め「タブストーキングをしない同盟」を結んでいました。正直見ても確実なことは分からないし、不安になるだけだと思ったためです。しかしWorlds3日目の魔物は強力で、R7終了時点で自分が、R8終了時点でゆーきがタブストーキングを危うくしそうになりました。お互いが止め合って同盟はなんとか守られました。僕たち2人の感覚としては、この日はどちらも調子が良いと思っていました。なんならディベート人生で一番調子の良い日だと思っていました。ラウンドが終わると、日本勢のディベーターとORで集まってお互いの話を聞きます。でも順位や勝敗の予測の話はあまりしません。ラウンドで自分たちがした話やラウンドで起こった面白いこと、昔話などをします。笑顔がありながらもどこかピリついた独特の空気があります。

 

R9が終わって、僕たちはホテルに帰るためのバスに乗りました。この日、ソフィアに来てから始めて本格的に雪が降りました。 

 

僕たちの結果はEFL breakでした。ちさととみなみがJudge break、たいきつちやとりほがESL break、なさぱんがなんと6位でOpen breakしました。なんか、この日本勢としての歴史的快挙を目撃できているだけでもWorldsに来た甲斐があるなあと思いました。1日空いて、EFL semiがありました。本当に低いクオリティーのラウンドを大分低いクオリティーのスピーチで勝ちました。チェアのX-Keにはなぜか褒められました。リップサービスだと思います。でも嬉しかったです。その後AlekのSemiを見ました。腹を抱えて笑いました。結構オープニングに取られていそうなラウンドながらGWからすごい粘りを見せていました。でも多分この人たち負けたなと思ったら勝っていました。流石ですね。 

 

 

1日経って、EFL GFの日がやってきました。EFL GFはゆーきがエグい上手さをしていました。MGからマジレスのRebuttalで結構OOのインパクトにダウトをかけた後、OGよりインパクトの大きそうなコンストをして、COから来そうなPotential反論に対処しに行くって感じです。あんまりGWからやることなかったです。僕は少し緊張していてあまり良いスピーチはできませんでした。Shout outをしていたら途中で「もうお前のスピーチ時間始まってるぞ」って言われて急発進したせいだと思います。適当にCOに反論した後に全力でOOをフリップしにいくようなGWをしました。OOが結構フリップしやすそうだったのと、MGによってMitigation的な作業は終わっているかなと思ったためです。あまり良いスピーチではなかったとはいえ、OOは破壊した自信がありました。ラウンドのクオリティーとしてはMGを除いてそこまで高くないと思いました。そんなGFが終わって、僕らには少し自信がありました。日本勢の反応からもこれは行けたんじゃないかという感じがしました。 

 

全てのラウンドが終わって、いよいよCCがやって来ました。WorldsはWinnerより先にGF best speakerが発表されるスタイルでした。EFL GF best speakerはなんとMGではなくLOでした。マジかよと思いました。嫌な予感がしてきました。Winner発表では5-4の割れ方をしたと先に言われました。そして、WinnerはOOでした。結構長い間意味が分からずぼーっとしていました。ぼーっとしながらGrand Finalistに贈られるあれこれを貰いに行きました。そしてそのあとチェアのEnting LeeにSplit先を聞きに行きました。「CGだよ、私もCG voteで結構な時間粘ったんだけど」と言われました。その瞬間、一気に現実感が押し寄せてきて涙が出ました。ゆーきに伝えると、ゆーきもこれを聞いた瞬間に泣き出しました。そしてお互いに「ありがとう」と言って抱き合いました。ちなみに僕はその夜、みなみが「つくばにはこれが必要や~」と言って持ってきたワインを飲み干して死にました。こうして僕のWorldsは終わりました。 

 

ワールズにて

 

Worldsが終わってからもいくつかの大会に出ました。Silver cupにかじてつと出て魚の話をしてGF勝ったり、KDOで全敗伝説を払拭したり、ざかんでEFL teamを組んでみなみにボコされたりしました。だけど僕のディベート人生はWorldsで一旦終わったような気がしています。本気で色んなものを犠牲にしてディベートをして、結果に対して本気で悔しくなる、そういうことはもうできないような気がします。Worldsが最終章でここからは後日譚というような気分です。これはこれで楽しいですが、少し寂しさもあります。 

 

とはいえ僕はまだこの競技が好きなのでもう少しディベートを続けてみようと思います。願わくは偉大なる関西の先輩方のように老人としてディベート界の隅っこに残っていきたいです。もし組んでくださる方がいれば是非お声掛けください。 

 

同期のなかまたち

 

最後に: 

ブログのはじめの方でなんとなく続けた四年間だったけど満足していると書きました。そこには少しだけ嘘が混じっています。あと一本音源を見ていればよかった。あの国のリサーチをやっていればよかった。頭が痛いなんて言い訳をせずにもう一歩深い反論を試合中に考えればよかった。大会で負ける度にそう思います。4年間を振り返った時に「やり切った」とは言えずにもやもやとした気持ちになる自分がいます。だからこのブログを読んでいてまだディベートを続けられる人には、何か一つの大会でもいいのでこれだけは本気でやったと言えるような経験ができることを願っています。だけど、そういう経験ができなくてもこの競技を続けて良かったと思えるのもまた本当です。どんな向き合い方を選んでも良いのだと思います。頑張ってください。 

 

 


ゆういちろうさん、ありがとうございました!

4年間の軌跡が伝わる感動的なブログでした。本気でやった青春を味わえるように頑張ります!

 


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【卒業編2026②】頑張れないのか、頑張りたくないのか

こんにちは、ブログ担です!

 

前回に引き続き、卒業ブログリレーの第二回です。今回は同志社大学を卒業された、ゆうかさんにお願いしました!

 


 

3年生くらいから、あんまり勝ち負けに深く動かされることはなくなってしまった。

 

 

負けてもあんまり悔しいとか思わなかった。勝っても英語喋れるから勝っただけやし、勝てないと思った部分で勝っても、おお、勝ったんだぐらいの感想しか抱けなくなってしまった。負けたら、英語だけじゃな無理なくらいアーギュメントが良くなかったんだろうな、って思うだけだった。

 

ブレイク落ちして泣いている人って、すごい強い思いがあって泣けるくらい努力してたんだろうなって思うとえらいなって思ってたし、自分は絶対になれないから感心してた。ちさととかは、ジャッジ本当に頑張っててえらいなって思ったし、同期でワールズ出る子は、スピ練したり週末大会に捧げたり、誠実に努力し続けていて感銘を受けた。

 

 

自分は本当にできない。多分残り続けられたのは、元々英語が喋れて、何もしなくても、保たれている英語と、EPL故に苦労なく見れるインスタとyoutubeで流れてくる時事ネタと4年で積み上げたメックがあったからである。EFLやESLで私よりディベートが上手く、頭がいい子はごろごろいるのに、英語が喋れるだけである程度評価されてしまっている。申し訳ないというのも烏滸がましい。なんか良くわからない気持ちになる。

 

 

 

時々、イラストが上手いって言ってくれる人がいる。

 

でもいつも思うのが、それって英語じゃね?である。状況説明って、言語力じゃね?ごく稀に、イラストが上手くなるアドバイスを聞いてくれる人がいる。いつも、映画とドラマと本を摂取することって答える。

だけど、正味モーションになるのって、西洋社会で消費されてるものだから、結局英語コンテンツ消費しないといけない。圧倒的に海外経験があって、文化的資本を得られた人が、有利である。NEADCラウンド4のrumspringa とか、インターとか帰国向けの学校とかに通ってたら触れる機会あるけど、日本の学校通ってたら滅多にないやん。

 

そもそも知ってるか知らないかで解像度が違う。解像度を説明できる英語力があればそれだけで、クラリティーが高いって評価される。アイディアがアーギュメントに埋め込まれていても、ニュアンスが伝わらないという状況があまりない。英語でニュアンスを言語化できるからである。その行為に労力を注がなくても、出来上がっている状態は、努力で作ったものではない。金が与えてくれたものである。昔住んでたと住んでたことがないはイコールではない。頑張って英語の壁を乗り越えてきた人と同じカテゴリーで肩を並べることは、その壁をなかったかのように、都合よく目を瞑ることだと思う。

 

NEADCでの一枚

 


ご自身の実績や実力に対する謙虚で誠実な姿勢が伝わってきました!

 

ゆうかさん、4年間ありがとうございました!


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【卒業編2026①】才能がないと思った夜と、それでも辞めなかった朝

こんにちは、ブログ担です!

 

桜の花もとうに散り、緑が光を帯び始める頃となりましたが、この3月に卒業されたディベータによる「卒業ブログリレー」を開催します!

 

記念すべき第一回は、同志社大学を卒業されたちさとさんに筆を執っていただきました!

 


 

卒業ブログ書くよ書くよって言いながら3/31になってしまいました、ほんまに最後までギリギリなのららたほんまにごめん。

 

ディベートの一番しんどい部分ってずっと人と比べられることにあると思います。自己肯定感が低めの自分にとって、Tabリリースはいつも心臓に悪いです。まず自分の順位をみて、チームメイトの順位を見て、密かにライバル意識を燃やしている人の名前を見て、ほっとしたり、イラっとしたりとずっと比較の連続です。飲み会では上手かった人のスピーチが話題にあがります、そしてちょっとうまくない人のスピーチも。いい感じに頷いたり、笑ったりしながら、毎回自分は裏でなんて言われてるんだろうって内心ヒヤヒヤします。自分も色々言うなら、何か言われるのなんて当たり前やのにね。それでもこの競技を続けている理由はコミュニティが好きなのもあるけど、どこかで認められたいと思っているからかなって思います。

 

私は中高時代放送部でした。約6年続けた競技アナウンス、部内の誰よりも練習して挑んだ高校最後の大会は凡ミスを連発して京都府8位、あっけなく全国には届きませんでした。その直後に顧問の先生が、全国出場を勝ち取った後輩を指差しながら「あんたは元々あんな才能がなかったからな」と言ってきて、全てが無駄だったんだなと無力感が湧いてきたのを覚えています。

 

大学に入って競技アナウンスはやめました。何かに打ち込む自分はあまり想像ができなくて、なんとなく英語力を保てたらいいなと思って始めたのがディベートでした。正直英語話せたらできるんちゃうなんて舐めた考えを持っていたのも束の間、負けを叩きつけられることが連続し、ちょっとだけ頑張ってみたい、私もブレイクしてみたい!と思うようになって徐々にハマっていきました。

 

でもちょっと頑張っただけで何かが変わるわけではありません。努力家かつ唯一無二のセンスを持つゆうかの横にいると直接比べられることも多く、1、2回生の時は「じゃない方」と形容されることもありました。大好きなゆうかが評価されるのは嬉しい反面、また才能のない競技に打ち込んでしまったのではないかという恐怖は常にうっすら付き纏っていました。

 

そんな恐怖から逃げるように自分を騙し騙ししながら迎えた4回生!学部生最後の年です。外部院試に追われながらも、ナショナルズで優勝したい!ワールズでブレイクしたい!という目標を持っていました。

 

1.ナショナルズ

 

春Tはゆうかとららたと出ました。優勝できるんちゃう?って周りからも言われてたし、正直チャンスはあるなって思ってました。直前で3人で出たsunway apではブレイクはできなかったものの、spksがみんないい感じやったし、ゆうかは入賞までしました。GFで同期とやり合うところまで想像してたなあ。結果はあっけなくsemiで散りました。普通にりょせ率いるHit-Uに負けた。ほんまに悔しかった。飲み会でsemiについて語るりょせとまさおさんに生ハムを投げたくなるぐらいには悔しかった。普通に悪態をついてしまってJojoとりゅーきさんに気を使わせてしまったのはすごく申し訳なかったです。

 

だからこそ秋Tでは優勝したいって気持ちがすごく強かったです。秋Tはゆうかと自分が2回生の頃に対面開催に戻した思い入れ深い大会なのもありますが、ABPでの大負けも個人的には大きかったかなと思います。

 

ディベーターとしての最後のメジャーということで私とゆうかは9月にABPに出場しました。結果は7点とブレイクにかすってすらなく、「まだ楽しめる!!」と騒ぐつくばを尻目に「もう楽しめないんやなあ、終わったなあ」と思って、BA帰りのタクシーですごく惨めだったのを覚えています。ゆういちろうとますみつがEFL優勝してるのをみて、心の底から嬉しかったのは本当ですが、「私たちだって、、」と思ったのも嘘じゃないです。

 

秋Tは優勝したかった。semisまではABPで一切使えなかった2人で作ったマターファイルが大活躍して、本当にこのまま行けるんじゃないかとドキドキしていました。結果はスプリット負け、またりょせに負けた。このくだり何回目や。普通に自分がケース選択をミスったし、クロージングに抜かれるマターを残したのも大後悔すぎました。同志社だってできるんやで!って証明したかったのに。”まあI’m happyやで”というりょせに原稿用紙を投げたくなるぐらいには悔しかったですね。ちなみにマイナーはまさおニキでした。まさおニキにGFマイナーしてもらえるところまで来たんやという謎の感慨だけ残って秋Tは終わりました。

秋Tの閉会式

 

2.ワールズ

 

ワールズはジャッジとして出場しました。ワールズブレイクはとりちゃんやみなみなど、大好きで大尊敬する先輩方が成し遂げてる偉業というイメージがすごく強かったですし、自分もできたらいいなあなんて思って5月ごろ出場を決めました。頑張るつもりだったのに、ディベーターの方に重きを置いていたのと、院試の兼ね合いで、練習を始められたのは10月後半になってしまいました。復帰後初の大会でまさかのブレイク落ちをし、本格的にやばいと思って、自分のジャッジングを根本から見直す作業を重ねました。その結果、Hit-U IVとなんかのPre-WUDCでSemis Chair とFinals Panelを任せていただき、結構希望があるやん!!と比較的楽観的に11月を過ごしました。CAPとして参加させていただいたNEADCも調子はよかったし、めちゃくちゃ楽しかった!NEADCについては本当に楽しすぎて、あとCAPのメンバーが大好きすぎてこれだけで一本ブログを書けるぐらいいい大会やった。

 

しかし迎えた12月、とてつもないスランプに陥りました。原因は自分のジャッジに対して数えきれないほどの課題点を見つけ、一回の大会で全てを解消しようとしていたところにあります。トラッキング、OAの構成、メモの取り方、materialのcreditの仕方、、、上げていったらキリがないのですが、考えれば考えるほどダメな点が出てきて、全部解消しようと心掛けると目の前のラウンドがうまくジャッジできない、自信がなくなる、結果よくわからないパネルが言ってることが正しそうに聞こえて、あまり理解していないままにFlipし、ゴミみたいなOAをする、そして特定した課題は何一つ解消できていないのに、1週間ずつワールズが近づいてきて、全部解消しないといけない焦りで身動きが取れなくなる、、この繰り返しでした。毎週たいきつちやとかゆうかとかゆういちろうに号泣しながら電話をかけていた覚えがあります。

 

結果、私は諦めました。今回のワールズはヨーロッパで開催されることから、古のオーソリが大量に復活すること、そもそも提供からのブレイクなんて一握りであることなど、周りから聞いた情報を免罪符にどうせブレイクなんて無理や、同期の活躍を見届けるために私はワールズに行くんやと自分に言い聞かせていました。「ブレイクを目指そうね!」と約束したたいきつちややゆういちろうに申し訳ないと思いつつも、諦めた方が精神のため、ABPや秋Tみたいな思いはしたくないと思いながらワールズが始まりました。

 

諦めた状態で参加したワールズは楽しかった!特にR4でRyan Lafferty としたありえんほど負荷が高い高速delibは私のディベートライフのハイライトやって思うぐらいめちゃくちゃ楽しかった。R6直前で重めの風邪を引いたり、私生活がうまくいかなかったりと外部要素によるトラブルは色々あったものの、3日目になって、1対1のCAPチェックが入るまで変に希望を持たずに参加することができました。

 

ここで大きかったのがりょせとみなみの存在です。

まずりょせ。ディベーター編ではめちゃくちゃ悪役に見えるりょせですが(ごめんて)、ジャッジ編ではプリキュアの周りに浮かんでる妖精ぐらい助けてくれました。日本時間の朝までTabストークしてくれたし、ラウンドの感想を辛抱強く聞いてくれて、私のモチベーションが切れないように常にサポートをしてくれました。感謝してもしきれないです。

そしてみなみ。現地にいる参加者にはIn Roundの途中はあまり迷惑をかけたくなかったのですが、みなみを見たらついホッとして堪えていたものが全部流れ出してしまって、たくさん迷惑をかけました。なのに嫌な顔ひとつせずにたくさん話を聞いてて、慰めてくれました。みなみがいなかったらできなかったことは山ほどありますが、ワールズブレイクもその一つです。

 

結果、ブレイクすることができました。関西内外、国内外から同期、先輩、後輩から数えきれないほどお祝いのメッセージをもらって、多くの人に支えられてきたことに改めて気付かされました。みなさまありがとうございます。ワールズから帰ってきてからも盛大なドッキリなんじゃないかと疑うぐらいにはなんでブレイクできたかあんまりわかってないんですけど、ようやく目標のうちの一つを成し遂げることができてすごく嬉しかったです。

 

ワールズでの一枚(右はみなみ)

 

ありがとうを伝えきれてない人がたくさんいるので、ここで伝えます。日本からずっと見ててくれて、BAの前には電話をくれたゆうか。風邪薬をくれてたくさん話し相手になってくれたつちやたいき。なぜかワールズ中はあまり一緒にいなかったけど🤡気にかけてくれたゆういちろう。なぜかいつラインしても返事が返ってくるますみつ。同期の誇りと言ってくれたゆうき。一緒にいっぱい頑張ったひなの。独特な励まし方をしてくれたよしぱん。風邪薬をくれたはるとふくだ(ずっといじっててごめん)。就職したのにずっとTab Stalkしてくれている関東と関西の先輩方。自分のことのように喜んでくれた同期と後輩たち。

 

 

 

最後に

”I always thought your biggest enemy was yourself” 

 

ワールズのBA前にYagoに言われて印象的だった言葉です。

 

才能がないかもしれないし、向いてないところもあるかもしれないし、つくばとかゆうかに比べると目立たないかもしれないけど、それでも自分なりに4年間やり通せて良かったなと思います。周りの人たちは自分が思ってるよりも自分のことを見ててくれて、認めてくれているなと最後の1年間で思えました。ちょっとは自分を認めてあげてもいいかな!(追記:)ネモフィラ優勝したし!!

 

ゆうかの卒業式

 

 

4年間支えてくださった皆様、ありがとうございました!!

 


ちさとさん、ありがとうございました!

 

強いディベーターほど余裕で戦ってるように見えるけど、その裏で自分と向き合って、比べて、悩んで、それでも前に進もうとしてきたんだと思います。

 

4年間、ありがとうございました!


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【特別寄稿】同期亡きあとのディベート生活について

お久しぶりです、ブログ担です!今年もPro-am大会の季節がやってきましたね。そこで、一橋大学の小林遼生さんに春Tでの経験を基にPro-amについてのブログを書いていただきました!

 


 

徐々に薄れつつあるブログカルチャーですが、京大ブログが逆流の中再び企画を始めるとのことで、自分も例によって筆を執っています。

 

今年自分の身に起きたことといえば春Tを優勝したことがありますが、弊インステの個人的出来事を別の畑で書き連ねる言い訳が今のところ思いついていませんので、今回は広くPro-amというものについて、春Tを含め思うところを書いていくことにします。




そもそもpro-amとは何ぞやということですが、この言葉が指す範囲は「上級生がNoviceと組んで大会に出ること」一般であるように思います。proとamatureでpro-amなど大それたネーミングですが、まあそれは良いでしょう。

 

気が付けば去年からの自分のディベート生活において、pro-amをする時間がかなり多くの比重を占めています。Evergreen Cup, Kisaragi Cup, 春T, エリザべ...(そして今年のエバグリも?)と、それ以前と比較するとかなりコンスタントにpro-amをする機会が増えています。



なぜpro-amをしているのかというと、第一にシンプルに同期がいなくなったからです。はい。なんででしょうね、不思議なこともあるものです。

そして第二に、ひっちゅーを含む自分の周囲のコミュニティの人口減少があります。エデュケリソースが希薄になり、せっかくやる気のある新入生が数名いてくれているのに、このままではいろいろと立ち行かなくなってしまうぞという危機感がぼんやりとあり、自分一人でできることなら、と思い立ったこともきっかけの一つです。

 

特にひっちゅーでは昨年度、(自分を含め)上級生が練習に参加する環境が無く、一年生だけで練習している状況が続いていたため、大会を通して何かしらの貢献をしなければ、という焦りがありました。

 

りょうせいさん




1.pro-amを通して考えていたこと

全体を通して自分が意識していたことは「楽しく勝つ」ということです。

こう書くと的を絞り切れていない目標のような感じがしますが、自分にとってはかなり重要なことだったように思います。

 

まず、「楽しく」の部分ですが、これはpro-am特有の空気感に対してどうにかしたいと思った結果考えていたことです。

というのも、ディベートというキモい競技の経験値に差がある場合によく見られる上級生側のテンションには、大きく分けて2つのパターンがあるようで、一つは、

 

「オレがこのひよっこ一年生を引っ張って勝たせてやるぜ!pro-amでいい結果残したら全部オレのおかげになるやん!いいところ見せるぜ!最高!」

 

もう一つは、

「後輩と組んで負けたら全部自分のせいだ、、、絶対ブレイクしないと、、後輩にいいところ見せられないし申し訳ないな、、」

 

でしょうか。個人的にはどちらもおかしいなと思います。

 

まず前者。言うまでもなく終わっています。内心こういうことを思っている人は一定数いそうですが、自己満足のために後輩を道具的に扱う態度はなんというか、こう、非常に分かりやすく周りにバレます。

 

そして後者。これは多くの人が感じることでもあると思いますが、結局は「自分一人で全部どうにかする」ことにしか興味が無いというか、組んでいる後輩のパフォーマンスに対する信頼が、ある意味でかなり低いことの表れであるようにも感じます。

 

総じて言いたいことは、これらの考えを持つことが悪いということではなく、こういうことを考えていると全く楽しくないということです。一つはあなた自身が楽しめないということです。過剰な気遣い、過剰な自責思考は楽しさから最も遠いと言っていいでしょう。もう一つは後輩が楽しくないということです。あなたが過剰にネガティブだと後輩側ももちろん気を遣わなくてはいけなくなりますし、過剰に自己中心的だと一緒に戦っている感がありません。

 

「楽しく」やるとはつまるところ、なるべく後輩と対等にやりたいな、ということです。

単に仲良くなるということもそうですが、プレパの中で良いコミュニケーションをとるためにも、上で書いたような思考に支配されないようにしよう、と思っていました。




次に「勝つ」ことですが、勝てればなんでもいいということではなく、どうやって勝つのかを考えるという意味です。

 

まず前提として、あなたが組む後輩は単に「ディベート経験値の低い人」ではなく、明確な個性があります。

 

立論が好きな人、反論がたくさん出せる人、イントロにこだわる人、ニュアンスで戦う人、ロジックを詰めまくる人、直感と事例で押し切る人、、

 

この人は何が好きで何が嫌い/苦手なんだろう、と考えることから始めることで、自分がどう機能すべきなのかも見えてきます。



自分は春TではGW(R1を経てrole変更)とDLOをしましたが、通常の立ち回りに追加して意識していたことがいくつかあります。



まず、プレパ中にどのくらいの粒度の情報を共有するのかということです。1stをしていたチームメイトは自分で具体化する説明を追加したり構造化したりすることが良くできる人で、その反面、Assertion/スタンスを冒頭でクリアに出力することに苦労している節があったので、プレパではなるべく「Caseの核になるAssertion」「最終的に押したいニュアンス」を文章で共有することを(inroundでのまさおからのfeedbackも加味して)考えていました。

 

内容のダンプは(spec knowledgeがある程度必要なmotionを除き)最小限にして、自分が説明しやすいような形のスピーチをそのまましてもらうことを優先していました。

 

そして自分のスピーチ内で何を特に優先すべきかということですが、自分のDLOで最終的なweighingを全部出し、細かい反論と整理はwhipにほとんど任せるという(割とexploititiveな)方式を取っていました。

 

というのも、チームメイトのwhip speakerは個別の反論を出す速度と精度が高く、逆にメタ的な勝ち筋提示、potentially可能な負けOAへのケアを入れることが苦手な部分があったため、自分が大味な比較をベースにしたコンテンツをDeputyから投げて調整しました。

 

これらをしたからといって絶対勝てるということはないのですが、少なくともチームが(メンバー間で多少の得意/不得意の不調和がある場合は)機能しやすくなるはずです。



2.pro-amのここがおもろい

つまらない話は程々に、pro-amをちゃんとするようになってからおもろいなと改めて感じたことを書いていきます。

 

まずなによりも、ディベートの言語に毒されすぎていない人がmotion見て思いつくことは、いわゆる「ディベーターの言語でしか現実の話をしてない2,3年目くらいの人」のものよりも優れたアイデアである可能性が高いということです。

 

いや、急に過激なこと言って申し訳ないんですけど、本当に痛感しています。

 

ジャッジしてるときほど思うのですが、面白くないラウンドって本当に面白くなくて、みんな「weighing here is based on vulnerability metric」「companies have profit seeking incentive」「economy of scale」「check and balance mechanism」「backlash」「signaling effect」とかなんとかかんとか、、、



うるせえええええ!!!



って思うわけです。



言葉は便利ですけど、いやほら、「vulnerablity metric」とか聞いてエンタメ的に面白いって思いますか??vulnerability以外でまともな比較なんかしたことないくせに、なんかすごいことみたいな感じでとりあえず言っとくみたいな、そういう雰囲気あるじゃないですか。



自分のスピーチも内容が詰まっていないときほどそういう感じになる傾向にはあるのでこれは自戒も含んでいるのですが。



やはり理想としては複雑なリアリティのある話をしたいわけで、ディベートの言語ですべて完結してしまうような話は個人的には正直話していて何の面白みも湧かないんですよね。



ところが、例えばエリザべのR2。「Prefers 動物と人間の言語が同じ世界」みたいなmotionのOppをすることになったとき、自分の脳内では、「いやぁこれGovの方が近いimpact思いつきやすいだろうな、どうしよう、後輩の子からしたら厄介なプレパになっちゃうかもなぁ」と心配が募っていました。



2分後、どう?何か思いついた?と聞いたとき、



「この世界って、死ぬほどおなかすいてるときにやっと仕留めた鹿に目の前で命乞いされて、それでも殺して食べなきゃいけないってめっちゃ辛いですよね」と。




そう!!!!それ!!!!!

 

そういうことを言うためにディベートしてるんですよ。



これって要するにintuitionでしょ、とか、rhetoricの問題でしょ、と思う方もいるかもしれませんが、そうではなく、自分が言いたいのは「生活感」です。

 

自分が大きく影響を受けたディベーターの一人に、Lucia Arceという人がいるのですが、この「生活感」という言葉が一番よく当てはまると思います。なんというか、この人は、この人の生活の中にある言葉で何かを語っているんだろうな、という感覚を覚えるスピーチをする人です。



*OWのLuciaのClassic but beautiful defence of privacyが聴けるManchester IV 2021 Semiの音源を貼っておきます。言いたいことが伝われば嬉しいです。

https://youtu.be/9Oysqtj3yAw?si=zOt-8if-uXS1jxEx

youtu.be



まあつまるところ、ディベートの言葉で現実の話をしてる人よりも、現実の言葉で現実の話してる人が好きなんです。



自分が好きなディベーターは(参考にする、というよりも単純に「好き」である人たちは)、生活が懸かった、何か大事なものが掛け金になっているような、そういう話をしていることが多いです。政治的にも、経済的にも、文化的にも遠いような人たちですが、そこには確かに「机上の論理」を超えた生活の香りがあり、その直感的な怒りや苛立ちが競技の空間に乗るとき、自分にも届くような論理を携えてやってくるのです。

 

自分の生活には劇的なことは無いし、さして面白いようなことも無いですが、そういう生活感は大事にしたいと思っています。

 

ディベートに勝つということを考えると、そういう生活感を時には完全に切り離してしまう場合もあります。

 

すると、pro-amをするタイミングで自分が大事にしたいと思っていたものに立ち戻らせてもらえたという感覚になり、とてもありがたく、楽しいです。



ディベートに漬かりきっていない人、かつ、自分の頭でものごとをしっかり考えて、ことばを使える人は、強いです。そういう強さを垣間見ることができるのは本当に嬉しいことです。




また、pro-amのやりがいは、そういう後輩の強さを見せつけてやる!!という気持ちになれることでしょうか。これは特に関西でよく見るカルチャーだと思いますが、自分が好きな、評価している後輩が大会で評価されていないと悔しいですよね。

 

やはり、後輩には成長してほしいですし、ディベートつまらん、、やめるか、、ってなってほしくないわけです。モチベ維持のため、と言ってしまえばそれまでのように聞こえますが、もう少しポジティブな言い方をすると、「こいつマジで天才だからみんな見てくれ!!」という感情です。

 

春Tでは自分はそういう感覚もありました。ひっちゅーの現2年は、去年かなりアクティブだった(今もアクティブですが)ものの、大事なところで勝てない、評価されない、運が悪い、というような印象を自分は持っていました。

 

もちろんまだまだ余地はありますが、せっかく光るものを持っているのに、それを気持ちよく発揮できない状況なのは非常に残念ですよね。春Tは、その意味ではこのフラストレーションを壊せた大会だったように思います。

 

2人とも、ポテンシャルが十分に表に出ているパフォーマンスをしていたラウンドが少なくともそれぞれ2回はあったと思います。聞いていてとても嬉しかったです。




同期、先輩、気心の知れた人とするディベートは楽しいですが、新しい人と出会うのもまた良いものです。

今は学部生のあなたも、そのうち周りには人がいなくなりますし、もしかしたらあなたがそのいなくなる人のうちの一人かもしれません。

 

自分にとってディベートはエンタメで、ライフワークです。

みなさんにとってどうかは知りませんが、数少ない同類に向けて、少しでも発見のある文章であることを祈ります。

 


 

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【特別寄稿】セルビア留学×ディベートのお話 

こんにちは、ブログ担です!今回はセルビアでの留学から帰国した、広島大学岡田響稀さんに留学先での経験について綴っていただきました!

 


 

こんにちは!広島大学3年の岡田響稀です。

 

一言で自己紹介すると、大学にディベートサークルがなかったので立ち上げた人です(詳しくは2024年の京大新歓ブログ:「頑張ればなんとかなるんかなって思ってる話」へ)。

kyodaidebate.hatenablog.com

 

大学2年の10月~3年の5月まで、セルビアというヨーロッパの国に留学していたので、そのときの様子をおすそ分けしたいと思います。長々だらだら好きに書くので、見たいセクションだけ見てください。

セルビア紹介、ディベート練習風景、Belgrade Open、 Ljubljana IV、 LSE Open、 Eindhoven Openの順で書きます。

 

写真1: (カレメグダン、ベオグラードでお気に入りの場所)

 

セルビア紹介

セルビアとは、ヨーロッパの南東にあるバルカン半島に位置する、北海道ほどの面積の国です。公用語セルビア語で、観光地以外は日本と同じようにあまり英語が通じません。ご飯は肉料理が多く、毎日だと少し飽きが来ますが、基本的には美味しいです。また、rakijaと呼ばれる40%くらいのお酒が有名です。首都のベオグラードは日本でイメージするようなザ・ヨーロッパな街並みではなく、オスマンの影響を受けた建物が並びます。セルビア人はすごくフレンドリーで優しい人が多いです。 

 

 

政治的な話。

 

治安悪そう。戦争してた国なんちゃうん?と思っている方もいるかもしれません。しかしセルビアは、女性が夜に独り歩きできるくらいには治安いいです。今もコソボとは揉めてはいるけど、戦争はしてないです。EUには未加盟です。(ユーゴスラビア紛争等に興味がある方は、「アイダよ何処へ」という映画を見てみてください。)

 

ただ、道路にはよくコソボセルビアと書かれているし、セルビア人は学生でも「コソボとの戦争があったら戦いに行く」と言ってます。一方のコソボは、体感あまりセルビア感はなく、言語はほぼアルバニア語です。また、アルバニアで現地のおじさんがMost Albanians don’t like Serbiaと言ってたり、周囲の国は、人によるんだろうけど歴史的にあまり好印象は持ってなさそうですね。

 

セルビアの他の留学生は中国人とロシア人ばかりでした。日本人留学生は前期は私を含めて3人、後期は私しかいません。お国柄が見えて面白い。私のルームメイトはロシア人で、楽しくて優しい人でした。中国や韓国はセルビア語専攻が大学にあるらしく、英語は得意ではないけれどセルビア語は話せる、という人が多かったです。片言の英語で会話をするのが日常で、楽しいしみんないい人だけど、コミュニケーションは少し大変なこともありました。 

 

みんなが行かない・知らない国に行きたい、留学じゃなかったらセルビアなんて行かんやろ、という理由からセルビア留学を選んだけど、後悔はしてないです。旅行におすすめかと聞かれると、セルビアにお金をかけるならもっといい国があるかもしれないですが、バルカンはバルカンでヨーロッパとアジアが混ざり合った別の風が吹いてておすすめです! 

 

 

ディベート 

では本題のセルビアでのディベートについて、練習風景、ヨーロッパで出た対面大会4つについてそれぞれ書いていこうと思います。観光ついでにゆるゆる大会に出ていました。

  

 

普段の練習

ご存知かもしれませんが、バルカンはディベート強豪校が多くて、セルビアベオグラード大学もWUDC 2024 GFまで行ってたりします。なので、ディベートの練習もできるかなぁなんて思いながら渡欧しました。最初は何もつながりがなかったので、ディベート部のインスタにDMしてみたり、留学イベントなどで仲良くなったセルビア人にディベートしてる人知らん?と声をかけて連絡先を交換してもらったりして、なんとか参加しました。行動力(だけ)はあります。

 

セルビアディベートは、かなりcentralizeしていて、高校生も含めみんなベオグラード大学に集まります。(ここ以外のインステがあるのかは分かりません。)3つのレベルに分かれていて、学部ごとで初級、学部間超えて中級、上級とありました。競技人口も多く、学部ごとの練習ですら各学部20人くらいいました。全員だと100人超えるんじゃないかな。初級向けは完全セルビア語、中級は練習は英語やけどレクチャーなどはセルビア語でした。

 

 

当初は、学部のディベートしか連絡が取れず、週2で初級者向けの練習に参加してました。しかしセルビア語がまっっっったく分からず(そりゃそう)、練習にもほとんど参加できません。英語で声をかけてくれる人もいましたが、1~2か月で行かなくなりました。個人的には1か月でも頑張ったと思ってるのですがどうですか??(笑) さぼったら、なんで来んかったん!って連絡くれる子がいた、いやあんたも来てへんやんと言いたい。今は辞めたらしいですが、今でもたまに会話するくらい仲良い友達です。 

 

次に、後述するベオグラードオープンで聞き出して中級者向けの練習に参加。週に1回の練習で、WUDC 2024 ESL Championの方が毎回来てくれました。中級者向けとはいいつつ、ほとんどが高校生で、内容も反論とは~characterizationとは~みたいなものが多かったです。練習試合はどうせ各自でするから練習会ではしないと言われ、方針に納得。基礎練は正直つまらないけど大切です。しかし、実践は英語なのですが、練習時間の半分以上はセルビア語でレクチャー、グループワークも基本セルビア語、、、結局何も分からなかったです笑。練習後に交流したいなあと思ってもみんなセルビア語でなかなか話してくれない。これがisolationか、と思いました。指導者の方が優しくていろいろ配慮してくれたので、2~3か月くらいは頑張って行ってたんですけど、学生デモが始まって、大学が封鎖されたあたりから完全に行かなく(行けなく)なりました

 

上級者向けはつてがなくて行けなかったけど、多分セルビア語&友達もできないんだろうな、と思います。自分以外の留学生なんていないし、明らかに1人だけ浮いてる。悲しいけど、大学でのディベートの練習はこんなかんじで終わりました。 

 

一応書いておくと、セルビア語の勉強はしてたんですよ汗、週4で授業受けてました。キリル文字も読めるし書けるけど、日常会話に混ざって話すのは難しいですね。

(Probala sam da naučim srpski i mislim da sam mnogo učila. Ali je baš težak, nisam mogla da govorim s njim zajedno. Нису причали енглески, али ја сам баш хтела да причамо.😢) 

 

 

大会編

Belgrade Open

 

留学中最初の大会。11月はじめにベオグラードで行われた大会です。ベオグラード大学割ということで、朝昼ご飯付きで参加費500ディナール(当時700円くらい)。大半はベオグラードチームでしたが、ルーマニアスロベニアクロアチアハンガリー、オランダなどから来ているとこもありました。セルビアの方が紹介してくれて、初対面セルビア人とのチーミング。留学中にディベーターとして出た大会の中ではレベル感が一番いいチーミングだったと思います。まあ、いろいろあって69つけられたけど。ラウンド後の交流もソーシャル(全体の飲み会)も、いつも通り、みんなセルビア語なので友達はできません。ペアの人はすぐ他のセルビア人のところに話しに行くしで、あまり仲良くなれませんでした。

大会にはWUDC GFのĐorđe (優勝して帰った)とかがいました。Zagreb EUDC ESL Finalの音源サムネのNovak が、ORのど真ん中でぼっちしてる私にクッキーくれたのと、Pjotrと少し話せたのだけはいい思い出です。話す前はこの大会のためだけにヨーロッパに来た日本人と思われてました。なわけあるかい。あとは、強そうなセルビア人捕まえて中級者向け練習に入れてもらいました。(余談ですが、帰国後にジャッジで出たpre-worldsでペアと一緒にパネルして懐かしかったです笑)

 

 

Ljubljana IV

 12月はじめにスロベニアの首都リュブリャナで行われた大会です。初級者向けの練習で出会った初心者のセルビア人と組みました。大会前にオンラインでプレパ練をしましたが、ん~面白い。

 

例えばWhen distributing welfare, THP that governments provide cash transfers instead of social goods (e.g. food stamps, free education, vocational training programmes)のガバで、食糧配布だったら、肉配ったらベジタリアンにとって不公平!かわいそう!というアーギュメントを立てだしたり、、しかもまさかの3分スピーチ。Hmmm okay.

 

大会にはバス乗り放題チケットがついてました。宿はコミが用意してくれたホステルでチェコチームのシスメール2人と3人部屋。朝ごはんもついてたのが嬉しかったです。

 

結果は、惨敗でした。

でも、ベオグラードオープンのときよりは人と話せたので楽しかったです。英語伝わるの最高。ボトムラウンドで一緒にディベートしてた人たちとも仲良くなりました笑。彼らはディベート歴5年らしいけど、まじでずっと4位取り続けてて、OAの4th goes toの瞬間、あーー!!って叫んでてむしろ楽しんでる?くらいのノリでした。こーゆー人もいるんだなあ、、。ディベートとこんな関わり方ができれば楽しいんだろうなと思います。 

 

ソーシャルでは、Rumenとかと話せました。I’m from Japan!で日本人ディベーターの名前何人かあげるとちょっとお話できてよかったです。SNSだけ交換して帰りました。 

 

あと、Maj Hrovatin というスロベニアのディベーターがいて、その方とも仲良くなりました。ベオグラードオープンで廊下ですれ違ったときに、Ljubljana IV行くよ~と話をしたのですが、まさかの覚えててくれてました。嬉しかったです。大会中、R1で当たってぼこされたけど、スピーチかっこよくて尊敬。Majのチームが優勝し、おめでとう!って言うついでにまたもやSNS交換してきました。WUDC 2025 ESL Champion、めでたかったです。あと、セルビアから帰国するときにBalkans will miss youとわざわざDMくれたのが嬉しかった。こんな底辺ディベーターにも分け隔てなく接してくれるの、この人めっちゃ好き。

 

Ljubljnana IVはプレパ練した時から割り切ってたところがあったので、鬱エナジーではなかったです。観光✨首都のリュブリャナは超発展してるけど、オールドタウンの古い可愛いヨーロッパを残してるのがいい。近くにお城もあって、そこから町を一望できたのが最高でした。首都以外にも、湖とか鍾乳洞とか、自然がめっちゃ綺麗でした。クリスマスマーケットも行けたし、超楽しかったです。留学中30か国くらい旅行したけど、一番はスロベニアと答えます!!死ぬ前に絶対行ってください。



 

写真2(景色が綺麗なブレッド湖

 

LES Open

 名高い音源大会せっかくやし行きたい!でもディベーターやとつよつよにボコられて怖い!ってことでジャッジしてきました。この大会、本当にいろいろありました笑

 

まず、予定を1週間間違えたこと。3月の最初の週や!と思ってフライトを予約してたら、前日に来週だと判明。絶望。明日朝からイギリスのはずやったのに大会は来週??とりあえず次の週のフライトを取り直したけど、明日行くべきなのか。とはいえ明日のフライト代は戻ってこないので、行くことにしました。めちゃくちゃ迷ったし、虚無いし無駄に3万も交通費が嵩みましたが、幸いにもイギリスに留学中の友人が泊めてくれたので宿泊費はゼロ。ありがたい。その代わりオンラインで出ようとしてた日本の大会(紺碧杯)をぶっちすることに。ごめん。

このとき放心状態だったので、ずっと行きたかったエディンバラに大会前日に行くことにしました。セルビア→ロンドンの深夜便に乗り、そのまま空港泊して朝便でエディンバラに向かいました。大会前なのにアホですね。でもエディンバラは最高だった!

 

 

 

当時のスケジュール

2/27- 3/3: ロンドン

3/4- 3/5: セルビア(なぜ戻った)

3/5: 深夜にロンドンへ

3/6, 3/7: 1泊2日でエディンバラ

3/8, 3/9: LSE Open

3/10: セルビア

 

そんなこんなでLSE OPEN当日。

結果から言うと、ブレイク落ちー。ジャッジの練習してなかったし、ブレイクできるとは思ってなかったけど、落ちるとやっぱ悔しいですね。でも、closeなとこしか割れてなかったり、unanimousやったりで悪くはなかったのでは。R1, 2, 4のチェアは高い点つけたよ、なんでトレイニーなん!?くらい褒めてくれたのが嬉しかったです。Ana ComanやUmar, Ricky見れたりで面白かったです。

大会のレベル感は高くて、上位40人のスピークス80以上ってなんなん。ディベーターしなくてよかった、、

 

大会中は基本一人ぼっちやったけど、ソーシャルなどでは人とも話せたのが楽しかったです。イギリスは東欧と違って、アジア人留学生が多く親近感が湧きました。みんな英語で話してる。なんなら、アニメ好きで日本語ちょっと話せますみたいな人もいました。

1日目のソーシャルでは、アジア人グループができてたので、RickyやYoungwooのとこに混ぜてもらいました。そしたらほかのアジア人も寄ってきて、ワイワイできて楽しかったです。 

2日目のブレイク落ち後は1日目に仲良くなったシェフィールドの人たちと一緒にいました。ソーシャルでは、Yakkaと呼ばれるウォッカにレモンと砂糖いれただけの20%くらいのお酒を紙コップ一杯飲みました。どっかのディベーターが作ったレシピなんやって。CCで飲むのが伝統らしい。美味しかったけど、強かったです。筑波の方々が日々デモンストレーションしているように、お酒飲むと英語が話せるようになるというのを身を持って実感しました。TahaやNaomiとかとは話せていないけど、いろんなディベーターと話せて楽しかったです。 

 

 

そしてそろそろPjotrと顔見知りに。向こうからフェイスブックのフォロー来た笑。ペン貸してって言われて水色のん貸したらなくされたのは忘れへんけど。黒やったら返せるってそれ誰のやねん。

 

旅行も含めて、トータルで3週間くらいイギリスいたと思う。長いこと泊めてくれて本当にありがとう。

 

写真3(迷子になってたら見つけたLSEのロゴ)

写真4(みんなで飲んだYakka)



 

Eindhoven Open

 3月末にオランダのアイントホーフェンで行われた大会。今回はディベーター。セルビアチームが3チームもいるようです。ペアはセルビア人の初心者で、社会人やけど3か月前にディベートを始めたらしい。人が足りないということで駆り出されました。

ゆるゆるディベートしようと決めてたので、旅行ついでにディベートをする、くらいの気持ちで大会に行きました。大会前日に1人でアムステルダム観光。綺麗な街!大会後はベルギーのブリュッセル観光が待っている!とワクワクしていました。旅行っていいね。

 

宿泊先はコミが無料で用意してくれると聞いてたのですが、本当にひどいものでした笑。前日の20時以降なら来ていいよと言われていたので、着いて連絡すると鍵がないので市内まで来いと。宿から大学/ 市内までバスで30分。バスは30分に1本。さっき市内から移動してきたばっかやのに!1時間かけて土砂降りの中移動すると、unofficial socialをやっててセルビア人が数人いる。向こうからすればセルビアディベートにいる唯一の日本人やからか覚えられてるっぽいけど、こっちは誰が誰か分からん。ちょっとだけ話して宿へ。めっちゃ民家やんと思ってたら、コミの一軒家でした。セルビア人だけなんかなあとか思ってたら他の人おるし、エアビみたいなかんじで夜中に話しながらワイワイできるんかなと思いきやそんな雰囲気じゃない。しかも無料なのはいいんやけどさ、この家に10人も寝るの...?ちゃんとしたベッド2個しかないやん...

 

 以下featuring free accomodation

・枕、毛布はもちろんなし 

・部屋の暖房つかない(オランダって普通に寒いねんで、特に夜中!)

・埃まみれ空気抜けかけキャンプ用マットで睡眠

・ドライヤーない&寒くて髪が乾かない。びしょ濡れのまま睡眠

・overcrowded, 隣の人に蹴られるケースもあるらしい

・部屋開けたらオバマさんの等身大パネルでてきて心臓止まるかと思った

・朝起きたらパンツ一丁のシスメールがうろちょろ

 

体痛くて寝つけないし、深夜2時に目覚めてから寒すぎて一睡もできんくて、次の日眠くて目真っ赤。ほぼ寝れてない。せめて風邪引かなくてよかった。

 

そんなこんなで大会当日。めっちゃcompetitive!って訳でもなく、モーションも古典ばかりでした。ペアはがスピーチ後に、Did I cover all? Did I say something important? って聞いてくるのがちょっと可愛かった。そしてPjotr, hi again。大会1日目のソーシャルはラウンド中に仲良くなったオランダの方々と話せて楽しかったです。流石に眠すぎてすぐ帰っちゃったけど、、、

 

2日目。宿がさらに大変なことに。+5人追加で来たらしくて、ドア開けたら廊下で薄っぺらいシーツ一枚だけ引いてliterally雑魚寝してる人も。30分しか寝れなかったらしい。日曜日はバスの始発じゃレジに間に合わず、タクシーも日曜朝はbusyらしいので大学まで1時間ウォーキング。なんだかんだ楽しかったです。朝活!

 

結果は、なんとかぎりっぎりでブレイクできて、RGF進出。CGかつモーション的にgov有利だった気がしますが、プレパがめっちゃうまいこと行って、Champion。キラキラした銀色のトロフィーまでもらえました。ディベートで銀色のトロフィーってあんま見なくない?これはこれで味があっていい。わーい。ありがとうございます。

大会後は、セルビア人とクロアチア人の7人でsubwayで夜ご飯。初めてまともにセルビア人ディベーターと話せて、ちょびーーっとだけゴシップ聞けてよかったです。大会は旅行がメイン!ディベートはゆるゆる!と決めていたのでdepressionとかなく、ただ楽しかったです。ゆるふわになろうかな?

 

あ、そういえばreg fee払ってへん。まあいっか。

 

写真5(きらきらしたトロフィー✨)



 

 

(Eindhoven おまけ)

大会後のブリュッセル観光、楽しみにしてたのにこれもまたひどかった😢アイントホーフェンからバスで約2時間で着くのですが、バス移動中に航空会社からメールが来ていることに気付く。ストライキのせいで飛行機が2日遅延します。今日ブリュッセルから帰る予定やったんやけど!!しかも延泊の費用、食費などは出ないらしい。(基本は航空会社負担ってEUの規定に書いてある。EU圏内から飛ぶから保証義務あるはずやけど、さすがAir Serbia🤦)2日後やと、週末のルーマニア&ブルガリア1人旅の予定が崩れちゃう。それはあかん。アムステルダムの空港からの翌日便に振り替えてもらうことにしました。宿泊先はさっきの宿に泊まっていいよとのこと。ありがとう。

 

が、大問題。飛行機振り替え予約の連絡が取れない。Air Serbiaのメールは返ってこないし、インスタのDMは返ってくるけど、もうすぐ返すから待っとけしか言わない。アイントホーフェンに戻る最終バスまであと2時間。オランダからの飛行機が取れないと、オランダに戻る意味ない。焦り始めて、When exactly be “soon”?いつになったら連絡来るん、こっちはずっと待ってるねんけど!って返すと、メールじゃなくて電話しろと。ここセルビアちゃうねん、電話できんのよ、、、(セルビアEU入ってないのでネットワークの契約が違うことが多い)。さんざんわめくと、やっとメールが来て振り替えてくれることに。

 

無事に帰れたけど、大会以上に疲れたし、ブリュッセル観光は楽しさより不安が勝ったしで魂が削れました。今思うとそれも思い出やし、留学中に入ってた保険会社に報告したら1万返ってきたから若干儲かっちゃったけれど。契約書とか読むのも大切です。

  

 

まとめ

ヨーロッパのディベートは、どの大会も簡単なサンドウィッチやピザなど、お昼ついてるのがありがたいなと思いました。いい思い出ばかりではないけど、貴重な経験をしたと思います。辛かったことも過ぎればネタやし、なんだかんだ参加してよかったです。

 

Eindhoven Open後は、一度ゆるふわになるとそれがnormalizeされてしまって、もうcompetitiveには戻れないです。コミュニティは大好きなので辞めたくはないけれど、ゆるゆるなら、また続けてもいいかなぁ、、と思っています。セルビアでの学びを何か活かせるといいですね。(といいながらACやジャッジなんだかんだしてます、、笑)

もし留学に行くけどディベートしたい方、よく分からん土地でディベートしてて辛い方がいれば、たまにはゆるゆるするのもオススメです。なんだかんだそれで楽しかったし。もしごりごりディベートしたい方がいれば、他の方に話を聞いてみてください。ヨーロッパだとイギリス(大会多い)や、EU圏内(飛行機が安くて大会行きやすい)とかはディベートしやすいと思います。

 

 最近は神出鬼没ですが、見かけたらまた声をかけてもらえると嬉しいです!!ディベートでも、それ以外でも。みんな頑張っててえらい!

 


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