今回は、Krabi ABP 2024でJudge Breakをした同志社大学3年の桑山千怜さんに大会の感想をつづっていただきました✨
ブログ担の楽々太にお願いされたわけではないけど、ABPという個人的な節目を終えて、一回自分のこれまでのディベート人生とABPを振り返りたいなって思って書いてみました。自分のincompetentさを晒すことによって元気が出る人が一人でもいればうれしいです。
つよつよな同期たちとかと違って、雑魚てぃややし、文章も得意ではないので、めっちゃ暇で暇で仕方ない人だけお付き合いいただければと思います。
1.今までのディベート人生の振り返り
いつからジャッジしてるの?
ジャッジを本格的に始めたのは今年の2月から。2回生の終わり。
どこでジャッジしてるの?
アジア。インドとかマレーシアとかGMT+5.5〜GMT+8ぐらいの大会。
なんで?
ディベーターしてるより楽しいから。あとABPまではジャッジしてないと不安だったから。
なんで日本でジャッジしないの?
怖いから。知り合いばっかりのところでジャッジしたくないから。
みたいな感じです。最近はなんだかんだ安定してブレイクできるようになりました。バブルにチェアとかで放り込まれた時の怖いけど嬉しくなる瞬間とか、オーソリばっかりで競ってるラウンドをジャッジする時のワクワク感とか、アウトラウンドのdelibarationで自分よりもずっとずっと頭のいい人たちが自分の意見を聞いてくれている時間が好きで、辞められずにいます。(文字起こしをするとやばい人みたいに見えるけど実際楽しいし、個人的にはディベーターよりもスリルが味わえるのでキャリアジャッジはおすすめです)
なんでこんなことになってしまったのか、振り返ってみました。
一回生の時は、ゆうかと2人でずっとディベートをしていた気がします。コロナ明けで、京都はあまり練習の場が整っておらず、ずっとオンラインでの活動でした。初めは7人ぐらいいた同期は顔を知らないままみんな辞めてしまったし、今みたいに先輩ともコネクションがあんまりなかったです。関東勢がみんなワイワイする中で、誰も話し相手がいなかった梅子のORは未だに覚えています(おじいちゃんみたいなファッションをしたりょうせいが敬語で挨拶してくれたぐらい)。2月に開催されたアジ橋でゆーきかとーと行徳がなぜか京都まで来てくれて初めて、ちゃんとディベーターの友達ができた!って感じでした。実績は全然なかったです。梅子まではずっとブレイク落ちだったし、スライドに名前が載ったことなんてなかったです。
二回生はめっちゃ友達が増えて、すごく楽しかったです。ひなのとか、たいきつちやとか、ひらいゆーなとか、いのはんとか、ろっぴーとか、なつみとか、今でも仲良くしてくれる友達がたくさんできました。楽しかった反面、個人的にはディベートがしんどかったのもこの時期です。同期が後輩を連れてブレイクしたり、紅葉杯でベスアジュを取ったり、オープン大会で優勝したりしている中で、いろんな大会で思うようにいかず、ディベーターしんどいな、、と思っていました。そのしんどさもあって、ジャッジを初めてみることにしました。一番仲がいい先輩であるみなみやりょーせいがたくさんジャッジをしているのはもちろん知っていたし、3回生になるならジャッジぐらいできないと、、という思いでした。「ジャッジとして成功したい!」みたいな動機は特になかったです。でも思ったより楽しくて、なんか結果も出るし、ジャッジとしてメジャーのブレイクを目指したい!と思うようになりました。
2.ABPまで
2月〜7月は月に2回ぐらいのペースで大会に出ました。2月〜4月はブレイクしたりしなかったり、半々ぐらいだったと思います。でもそこからはコツをつかんで安定してブレイクができるようになりました。大体ずっとパネルで、R3か4ぐらいでボトムラウンドのチェアを任されて、ボーダーでブレイク、たまにSFやGFを見せてもらえて、、、みたいな日々が続いて、うっすら「私ジャッジできるんちゃう?」とか思ってしまうようになっていました、実際のところ運がいいだけなのにこれは本当に良くない。
大きな転機だったのが、ABP4週間前のOsaka IVです。はじめてずっとパネルではなく、チェアを多くまかされた大会です。結果はギリギリブレイクするも、ブレイクした日本人の中では最低スコア。原因は、チェアとしての実力不足です。今考えてみると当たり前ですが、パネルとしての競技と、チェアとしての競技は全く違います。パネルは同じく平等にラウンドを見ているであろうチェアを納得させるために、一つか二つのコンパリをすぐに説明すればいい一方で、チェアはバイアスがかかっているであろうディベーター8人を全員納得させるためにディリバレーションもしながらOAを考えないといけないのです。
ジャッジキャリアがすごく順調に進んでいたように見えていた分、これに気づいたときに自分の傲慢さとABPまでに間に合わないという絶望で、めっちゃ泣きました。めっちゃいろんな人に助けてもらいました。
りょーせいからは、ABPでチェアを任されることは少ないだろうから、パネルとしての技術に自信を持っていいこと、チェアとしての競技は違うこと、ますべからは、メモの取り方を見直した方がいいこと、ゆうかからは、チェアを任されるようになるまで頑張れる人が少ないから自信をもっていいこと、(たいきつちやもなんかいいこと言ってた気がするけど忘れちゃったほんまにごめん、とりあえずなんかいいこと言ってました)いろんなアドバイスや励ましをもらえて、割とすぐに立ち直ることができました。
もらったアドバイスを意識しながらジャッジしてみると、次のShriram Pre-ABPでは3rd Best Judge、ABP前ラストのPakistan Pre-ABP ではGFパネルまでなることができました。スコアも0.8ぐらいずつ伸びて、最終的にはそれまで乗ったことがなかった8点代に乗ることができました。(アドバイスがよかったのかもしれないけど、今思うのはジャッジスコアは割と運ゲー要素もあるということです、なので参考程度に気にするのがヘルシーかもしれません)
3.ABP
ABPは慣れていない対面ジャッジだったので、どうなることやらすごく心配したのですが、部屋の構造上、ディベーターの顔を見ずに済んだため、割と落ち着いてジャッジをすることができました。
一日目 R1はいつも通り、トップラウンドかつCAPチェックだったR2はいつも以上にいいパフォーマンスだったと思います。
そして迎えたR3、チェアを任されました。パネルにはTobi。ここでコケるか上手くいくかでこの後のアロケやブレイクの可能性が変わってくると感じていたため、すごく怖かったですが、スタンディングがよさそうだったので安心していました。ですが、まさかのラウンドが理解不能。今まででトップクラスにmessy。そしてTobiとはコールが大割れ。途中で処理落ちし、まさかのdelibaration中に涙が出てくる事態になりました。見かねたTobiが「代わりにOAやるよ」と言ってくれたため、OAはしなかったのですが、絶望感でいっぱいでした。
(余談ですが、この時泣きながらも「泣いてる理由を説明したら多少点数が上がるのではないか?」と考えた私は、「コンパラティブが、、なかったんだもん、、」という意味不明な泣きつき方をTobiにしてしまいました。Tobiは戸惑いながらも"I've never seen a judge cry because of that... the teams should be crying"と慰めてくれました、ほんまにいい人です。
※ゆうかがどうしても書いてほしいと言ってたので書きました。反省してますとても。)
ラウンドが終わったあと、Tobiから話を聞いたみなみが忙しいのにたくさん話を聞いてくれました。そこでなんとか持ち直しましたが、本当にもう終わったと思いました。
そこからのラウンドはやけくそエナジーでジャッジしてました。パフォーマンスはいつも通りに戻せました。最後はギリギリ生きているラウンドだったので、わんちゃんあるかなと思いつつも、結構諦めていました。チェアを任されるようなIAの方々はみんなOAがわかりやすかったし、わざわざ大金を払ってクラビまでジャッジしに来るようなパネルの方々もPre-ABPよりもレベルがずっと高かったです。
でも、ブレイクできました。アウトラウンドのスタンディングを見る感じ、めっちゃギリギリやったと思います。すごく嬉しかったです。
みなみはBA中にステージから降りてハグしてくれました、ひなのは自分のことのように喜んで泣いてくれました。
ますみつやゆーき、ゆういちろう、まさてゃもたくさんお祝いの言葉をくれました。
そして、りょーせいやたいきつちや、ゆうか、ますべ、とり、みちるとか大好きな人たちがみんな連絡をくれました。
綺麗ごとみたいに聞こえるかもしれないけど、本当に多くの人たちに支えられてたんだなと思って、すごく嬉しかったです。
(冷静になると、ほんまにブレイクしたんかな?今回も運がよかっただけちゃう?とかいろいろ考えてしまうので、精進します、、、)
4.ディベートがしんどい人へ
頑張っても結果がでないし、自分なんてディベートに向いてないんじゃないか、同期の方がはるかに優れているし、自分なんていなくていいんじゃないか、って思ってる人、いると思います。ディベートより楽しいことなんて山ほどあるし、全然逃げてもいいと思います。でも、なんだか後悔しそうな気がするのであれば、自分のできないことを受け入れながら自分が納得するまで続けるしかないんじゃないかなって思います。
ジャッジしてて辛いとき、深夜に何度も救われた文章があります。りょーせいのブログです。
自分のように憧れに手が届かない多くの人はきっとただの凡人なのですが、それでもできることはたくさんあります。「多くの人は賞賛されずに退場していく」というのは正しいですが、自分の中の正解の定義をもっと増やして、改めてこの競技と向き合ってみてほしいです。きっと、どこかにしっくりくる何かがあって、そこにたどり着くための努力はとても楽しいはずです。
Kyoto Debate team 秋のブログ祭り第6弾 ✨特別寄稿✨ 〜才能がないのにディベートをやり続けている話〜 - 京大ディベートの日常
私の体験談を読んでお気づきの方もいらっしゃると思うのですが、私は本当に弱いです。周りに常に助けられないとダメだし、すぐに泣き出してしまうような人間です。同期(主にたいきつちやとゆういちろう)の会話についていけないことも多々あるように頭がよくないし、才能もセンスもないです。正直ディベートに向いてないと思います。
でも、こんな自分でも、自分なりの正解を見つけることができました。私の中の正解は多分ジャッジでした。BA前は不安で常に吐きそうだし、寝る前にその日のクロースなコールが脳裏をよぎって目覚めることもあるし、楽しいことだけじゃないけど、なあなあでディベートしてるよりも好きな自分でいられるような気がします。
他の誰かの正解はコミとかディベーターとかそれこそジャッジとか、いろいろあると思います。自分が納得できるまで続けられる何かを見つけられたらそれは結果に関わらず誇れることやし、絶対に誰かが見ていてくれると思います。
5.最後に&謝辞
ABPブレイクしたものの、チェアはできないし、恐怖が勝つので国内をジャッジすることできないし、先輩方に比べると実績もまだまだなので、課題は山積みだなと思います。ディベーターも全然成長してないし、同期の中で雑魚てぃやなので、頑張りたいです。
めっちゃ身内向けになってしまうのですが、あまりにも感謝したい人が多いので、ここで感謝させてください。
りょーせい
ABPブレイクして一番最初に連絡した人。定期的に号泣電話の被害に遭わせてしまって申し訳ないです。ここまで続けてこれたのは絶対にりょーせいのおかげやし、すごくすごく感謝しています。これからも見守っていてください。
みなみ
どこから感謝していいかわからないぐらい感謝しています。忙しいのにTabストーキングしてくれたり、みなみからしたら小さいachievementでも私が成し遂げたら死ぬほど褒めてくれるし、ほんまに大好きです。りょーせいとみなみは一生憧れ。
ゆうか
どんな時もずっとポジティブな言葉をくれて、味方でいてくれてありがとう。唯一の同期がゆうかで本当によかったです。ゆうかが就職するまでにたくさん一緒にディベートしたいです、大好き!
たいきつちや
激鬱&ジャッジ仲間として、いつも愚痴とかを聞いてくれてありがとう、苦しみにいつも寄り添ってくれるし、的確なアドバイスをくれるの、本当にありがたいし、とても尊敬してます。これからも一緒に頑張れたら嬉しい!
ゆういちろう
たぶん聞き飽きているだろうに無限にジャッジの愚痴を聞いてくれてありがとう。ディベート続けてね???
ますべ
you are not the best person to talk to when I’m super depressedやけど、心から思ったことしか言わないからますべさんに褒められるとすごい嬉しい。就職しても見守っててくれてありがとう。
とり
関西でNCMで学生時代ずっとジャッジしてて(&涙腺が弱い)っていう似た境遇すぎるとりやからこそわかってくれる悩みが多すぎてつい頼ってしまいます。ありがとう。
ひなの
ABPブレイクを自分のことみたいに喜んでくれる後輩がいるなんて幸せすぎます。ワールズジャッジ終わったら一緒においしいものいっぱい食べて、楽しくディベートをしようね。